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 胸焼けがしていた。テニスサークル独特の濃厚な雰囲気と、宴会特有の騒々しさと、酒と、さっきからやたら話しかけてくる沙絵の声が混ざり合って、消化不良な俺の胃内容物とほとんど同化していた。

 長らく足が遠のいていたのは、別に「やむにやまれぬ理由があった」ってわけじゃない。なんとなく、単に面倒くさくて。ただしそれが、本音の更なる本音にあたるのか、あるいは建前に当たるのかは俺にもよくわからない。

 久々に見る沙絵は回らないろれつで、俺に向かって何かを訴えていた。俺は沙絵を女として見ていたし、実際に一度だけ抱いた事がある。だからその声は、姿は、俺の衝動を駆り立てた。とはいえそれ以上のことはない。俺と沙絵の間にはガラスの板が張っていることを、俺はもう知っていたのだ。

 そこに息を吐きかけるほど、胸が腐っていくような気がしてならなかった。沙絵が今までに何人の男と寝たのか、その真意がどこにあるのか、俺には不可解すぎてかなわない。そして改めて顔を合わせてみると、俺は理解を既に諦めている自分に気付かされたのだった。ガラスを乗り越えてきた沙絵のフェロモンが鼻を突き、堪らず立ち上がる。すがるような視線に刺されて疼く自分自身の滑稽さに俺は嘲笑した。

 トイレから戻ってくると、沙絵は泣いていた。保護なのか見物なのか、女子の群れがたかって俺はもう近寄れない。何があったのかは知らない。しかし知りたくもない。それ以上足を踏み入れたら今度こそ本当に吐きそうだった。

 涼んでいるうちに宴会は終わり、俺は酔っ払いを追い払い後始末の手伝いをした。だが目処が立ち店を出た途端、落ち着きかけた吐き気が再び渦を巻き、同時に色覚は失われる。暗がりに浮かぶ景色ははっきりとした悪意を帯び、俺の前で大きく歪んでいたのだ。ぶくぶくと、胸のすぐ裏側が腐臭を放って激しく沸いた。

 すぐにその場にいることの絶望を悟り、熱気を帯びる一団に背を向けて、俺は凍りついた路地をふらふらと歩き出す。しかし聴覚はいつまでも研ぎ澄まされ、背後の声を勝手に逐一拾い上げていた。

 そこに、俺は質感のある幻覚を見た。俺と沙絵が馬鹿みたいに泣きながら濃厚なキスをする幻覚だった。だが正確には俺が幻覚だと思いたかったというだけで、ただ相手が俺でなかったというだけの、それはほとんど現実だったのだろう。

 大通りで帳を裂く土木工事の、騒音が耳をつんざいて、思わずあげた俺の叫び声は誰にも届かない。
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2012.01.21 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 その家は沈んでいた。
 落ちているのではない、暗いのでもない。
 その歪みに耐えながら家は、決定的な陥没を、むしろ希望するように待っている、というわけでもない。
 物理的に沈んでいた。
 たぶん、斜面に立てられていたから、土台が傾いているのだろう。
 しかしそんなところにも、人は住んでいる。
 その二階の窓から全裸で隣家を睨みつける少年が一人。
 「いかにして邪念を払うか」
 高校受験を二ヵ月後に控えた彼は、瞳孔が開いているようにも見える青白い顔でそう呟く。
 目線の先の家は、彼の親友の自宅だった。
 そちらは新築だから、沈んではいない。
 白い壁は真冬の曇天の下でも輝きを放ち、赤い屋根は初恋を思わせる。
 初恋を思わせる。
 少年は考える。
 あの景観を、俺の全裸で壊してやりたい。
 そうすれば、服を脱ぎ捨てるほどに凶暴な俺の煩悩は、きっと拭われる。
 少年は窓に手を伸ばす。
 指先に力を入れる。
 そして腕の筋繊維を収縮させようとした時、声がしたので全身がこわばった。
 そのまま耳を澄ませる。
 外を歩く若い男女の声がする。
 少年は、声の主たちを知っていた。
 むしろ、忘れたいくらいだった。
 一昨日、彼は見てしまったのだ。
 親友のあいつと、初恋のあの子が、おそろいのマフラーをして、肩を並べて、こそばゆいくらい白い吐息を吐きながら、笑顔なんかを見せ合って、手を、手を繋いで、繋い――。
 少年は叫んだ。
 「ウホーーー!」
 外に聞こえたかどうか?
 そんなことは少年に関係がない。
 なぜなら次の瞬間、少年の世界はひっくり返っていたからだ。

 全裸で飛び出した俺は、零下の風を切って屋根の上を走る。
 するとそれに気付いたあの子は悲鳴を上げる。
 ああ、なんて気持ちがいいんだ。
 俺はブロック塀を中継し、地面へ華麗に着地する。
 二人の前で不思議な踊りを踊ると、親友は怒り狂う。
 しかし不思議な踊りには勝てない。
 あいつはやがてアホな顔になり、自らも服を脱いで全裸になる。
 ついでにあの子も全裸になる。
 俺たちは一緒に踊る。
 そのうちどさくさにまぎれて、俺はあの子の手を引き走り出す。
 あいつは一人踊り狂ったまま。
 かくして、俺はあのこと全裸で二人きりになる。
 ああ、なんて気持ちがいいんだ。

 気付けば少年は、逆立ちをしたまま自室の中を三周していた。
 自己新記録だった。
 バタリと万年床に倒れこむ少年。
 血が脳天に溜まって、まともな思考なんてできやしない。
 ああ、なんて気持ちがいいんだ。
 もう外から声は聞こえてこない。
 少年は泣いた。


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※こんな中学生、たぶんいると思うんだぜ。
ちなみに冒頭は「甘露」(水原涼)からの借用。
2012.01.11 Wed l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
考察

松井によって試行されたデート招致を平野は全て断ったが、この結果は過去に平野を対象として行われた全実験についていえるものである(戸川 H21、他)。過去の全実験を見てみると、デート招致の試行回数には2回から12回までのばらつきがあり、その全てにおいて招致成功率が0%であるということは、他の女性を対象とした実験の報告内で多く指摘されている「デート招致回数と招致成功率との間には正の相関があるという法則性」(後藤 H5、他)に従っていない。したがって、平野はデートへのお誘いについては全面的棄却を一般的対応とし、上記の法則性を超越した女性であると考えられる。
また一部の報告では「対象女性が実験者を嫌っている場合、デート招致の試行回数に関わらず招致成功率は0%となる」(内村 H5)、さらに「対象女性が実験者を嫌っているか全く関心を抱いていない場合、デート招致の試行回数を増やすことは実験者に対する対象女性の嫌悪感を増幅させる」(内村 H6,H7)ということが指摘されているが、平野は松井に対して良好な感情を抱いているということが予備調査によって明らかにされており(松井 H22)、また今回の実験における64回という試行回数が、松井に対する平野の嫌悪感を増幅させるとは考えられない。
また、今回を含め、これまでの平野を対象とした実験では、デート招致の内容およびシチュエーションに特別な工夫は施されていなかったが、それらの工夫によってデート招致を成功させた例が、他の女性を対象とした実験報告のなかに存在する(戸川 H22)ため、平野対象の場合でも、上記の工夫を施した上でのデート招致を検討してみる価値はあると考えられる。(次こそは!)



指導教官から

客観的視点に基づかれた論述は評価に値する。しかしながら、本報告でデート招致回数と招致成功率との間に対応関係がみられないことについては詳細な考察がなされておらず、これについては高橋(H9)が次のように指摘した法則性の例外を参考にされたい。すなわち、「対象女性に特定の恋人が存在している場合、招致回数-招致成功率の相関関数における係数は0となる」。この指摘を支持している報告は非常に多い(内村 H8、他)ため、精神的打撃リスク軽減のためには、さらなるデート招致試行の前に、平野における恋人の有無を検証する必要があるといえよう。
評価:可
追伸:現実を見なさい。
(内村)


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※「短編」(http://tanpen.jp/)第111回コンペ投稿作品。
解説はこちら
2012.01.09 Mon l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 第111回の投稿作品は当サイトの1000文字小説#72「平野さんに対するデート招致についての結果報告(松井 H23)」にもアップしています。
 解説は完全なるネタバレなので、読みたい方は追記からどうぞ。

 ちなみに、第112回に私が投稿した作品はけっこうメッセージ性が強いために胸やけをする方がいるかもしれません。
 それだけ言っておきます。
 他者の作品も乞うご期待のこと。

2012.01.09 Mon l 短編(サイト)関連 l コメント (0) トラックバック (0) l top
痛々しいまでに敏感になった聴覚が、鼓膜をむずがゆくする。
些細な音も聞き逃すまいと、ずっと耳を澄ましている。
それは、たぶんあなたの声を探しているんだろうと思う。
待っているのは手紙なはずなのに、なんて臆病な耳だろう。
あなたの声を聞けばきっと安心できるんだろうけど、きっと聞けないから、俺は誤魔化すようにイヤホンをつけて、ずっと音楽を聴いている。
鼓動を調律してくれる音楽を、探していた。

ずっと奥の方で流れているものは、時間と共に姿を変えて、それでも枯れることはない。
姿を消すこともあったけど、伏流した後、このほど再び湧きだしてきた。
それは「美しい」という公理だった。
この概念、不思議なんだ。
「キレイ」とか「キタナイ」とか、そんな観念で簡単には測れないもの。
例えば、俺は森を美しいと思う。
でも、森には無数の死があって、排せつ物があって、危険があふれている。
川に入ればどぶ臭いし、蚊はうるさいし、何より孤独だ。
それでも俺が「美しい」と思う理由は、それらの「キタナイ」存在を否定しない。
また、森には無数の命があって、花の輝きがあって、木漏れ日が癒してくれる。
だけど、そういう「キレイ」な存在だけでは、森は「美しくない」と俺は思う。
「キレイ」と「キタナイ」を総括した「森」そのものが、美しいんだと思うんだ。
あなたにせよ、「キレイ」だけだとは思わない。
でも俺の価値観にしてみれば、その容姿も、性格も、自傷癖も、俺の知らない内面事情すらをも総括して、あなたは美しい。
盲目と呼ばれてもかまわない。
なぜならば、公理とは「論証がなくても自明の真理として承認され」るものだから。
どう足掻いたところで、この幾年で育てられた俺の中のあなたの存在は、暴力的な勢いで俺の鼓動を励ましている。
それは、事実なんだ。
あなたが拒否したところで、殺されでもしない限りは、あなたに生かされている俺がいる。
ここにちゃんと存在して、ずっと耳を澄ましている。

気付いたことがある。
俺にはきっと、あなたと肩を比べながら走ることはできないんだろう。
それでも、隣で見ていることはできるのだから、全てを「美しい」と思わせてほしい。
この俺の我欲を、受け入れずとも、せめて認めていて欲しい。

今はどこをさまよっているのか。
俺に言えた話ではないが安否が気にかかる。
動きだした歯車に身を焼かれても、燃え尽きてしまわぬことを祈っている。

ここでずっと、あなたの声を待っている。

2012.01.08 Sun l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top