fc2ブログ
 その焼き肉屋に行くのは初めてだった。その女と会うのは二回目だった。焼き肉屋へはシャトルバスが駅から出ていて、出発の一分後に駅まで来た私たちは、次の便までの二十九分を、駅に直結するショッピングセンターで過ごした。
 ショッピングセンターには何度か足を運んだことがある。酷く明るくて、たくさんの人たちがいる。それだけでも息が詰まるが、隣を歩く女のために、私は体中が熱くてかなわなかった。目の前にある空間が、いやむしろ私自身が、ぐらついた乳歯みたいに危うい状態に陥っている。
 女はこの街の人間ではなかった。したがって私の日常に、現実に存在する女ではなかった。けれども今女は私と同じものを見て、今、流行りのぬいぐるみを手にとって笑って見せ、私と同じ空気を吸っているのだという。その景色をしっかり見ようとすると、その中で彼女が乳歯になるらしかった。店内を迷子のアナウンスが何食わぬ顔で駆けていく。ふと腕時計を見ると、バスの時間までもうすぐだった。私は女をせかして駅まで戻った。
 暗い停留所にバスが口を開いている。街を走るバスとしては、よくある型のものだった。私はその型のバスによく乗った。足元滑るから気をつけてね、と私は後ろを突いて歩く女に注意した。空いている一人用の席に座り、暖かさにほっと息をつく。女は私の後ろの席に座る。座席が足りなくなることはなく、八分目までの人を含んだバスはゆっくり走りだす。
 私は後ろを振り返って女と話をした。丸っこい顔の頬と鼻の下にほくろがあった。一つ一つの表情の動きが肉質を伴っていた。私は以前会った時の印象を思いだすことができないので、しかたなく、彼女の身体的な特徴を、散々眺めてきた活字やそれが意味する言葉と、頭の中で馴染むように直接擦り合わせてみた。くっついたかな、くっついてないかなと、何度も確かめる。
 女は良く喋った。メールのやり取りでは気の利いたことを言うくせに、実際はそこへたどり着くまでにずいぶん戯言を抜かすようだった。車内の誰もが女の話を聞いている。私は恥ずかしかった。しかしやめろとは言わなかった。彼女の座席を、彼女から取り上げたくはなかったのだ。
 彼女はさっき外したマフラーを再びぐるぐる巻きつける。上手く出来ずに私の方を照れ笑いしながら見るので、私も手伝った。静電気が強く起きそうな肌触り。近づいてくる焼き肉屋のライトアップよりも、それは私を捉えていた。
スポンサーサイト



2013.02.19 Tue l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 相談があるというので友達とマックに行った。友達は以下のように述べた。

 聞いてくれよ、俺の彼女のやつ酷いんだ。あ、言ってなかったっけ? 八歳年下のさ、女の子と付き合い始めたんだよ。八歳下だぜ、大人になると昔みたいな人づきあいとは全然変わってくるんだもんな、すげぇよ。いや、そう、付き合い始めて三ヶ月くらいになるんだけどさ、いわゆる第一の倦怠期みたいな時期じゃん? もれなく俺も喧嘩しちゃったわけ。ところで俺、滅多に喧嘩をしないんだ。お前とも喧嘩したことがないどころか、嫌味一つ言ったことないだろう? そう、俺は平和主義なんだよ。いつもニコニコしてさ、相手が取り乱してる時は、常に冷静に、理性的に振る舞えるように気をつけてたんだ。そうすれば喧嘩なんかしないからな。じゃぁなんで喧嘩したのかっていうとさ、彼女が俺の悪口ばっかり言ってくるんだよ。昔俺に違う恋人がいたのを知ってさ、主にそれに関するような、もう酷い言われようだったよ。でも俺は耐えたよ。喧嘩なんかしたくないからね。でも実際は喧嘩になった。彼女のやつずっと拗ねてひねくれてさ、俺がどれだけ優しい言葉かけても冷たくというか、残酷、まさに残酷に切り返して来るんだよ。しまいには「別れよう」って、最終手段だよ。俺何もしてないのにさ、そんなこと言われるからだんだん落ち込んできちゃって、とうとう拗ねちゃってさ、我慢できなくて彼女に「俺を傷つけるのもいい加減にしろよ」って言ったんだよな。つい言っちまった。でもそしたらさ、彼女のやつ今までむくれっ面だったのが急に驚いたようになって、それから笑いやがるんだ。何で笑うんだよってな。何か馬鹿にされてるようで、余計イライラして見せたらさ、「可愛いね」なんて言うんだぜ。それから抱きついて大好きとか言って、急に謝りだしてさ、怒ってた俺は何で怒ってたのか分からなくなって、遣る瀬無くて気づいたら泣いてた。八歳下に泣かされたんだぜ? 信じらんねぇ! 挙句にさ、その後気まずくて黙ってたら、「素直じゃないからダメなんだよ」って叱ってくるんだ。なぁ、あいつが何を考えてるのか、分かるか?

 聞いているうちに周囲へ神経が向いていた僕はハッとし、苦笑いを浮かべて思いだしたようにドリンクを手に取る。ちょっと呑んで味にびくりとし、見ると紙コップに入っていたのは友達が頼んだキャラメルラテだった。僕は二度とそれに口をつけなかった。

---------------
※喧嘩の解決のために必要なものとして挙げる条件は、男の場合だと理性、女の場合だと感情である、とかいうまことしやかな噂を聞いた記念に。
2013.02.15 Fri l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top