FC2ブログ
 僕にとって悪事とは大抵、全くそれと気づかずに犯すものか、その重みを強く自覚するものかの二つに一つだった。どちらがより深い罪なのだろう、と、またしてもそんなことを考えながら、僕はぼんやり小野の顔を眺めている。
 小野は張り詰めた眼差しを僕に向けている。その目は僕のことを知っていた。開け放った窓からカーテンを揺らして風が入ってくる。カツラの甘い香り。それが僕たちを撫でて、小奇麗な涼しさを肌に覚えさせた。
 なびいて顔にまとわりついた長い髪を、彼女は払わなかった。身なりに気が回らないほど彼女の心情は切迫しているのだろうか……いや違う、次に動くのは僕の番だと決め込んで、息をじっと潜めているのだ――そう感じとって、僕はようやく話し始めた。
「言い訳はしないが、聞いてほしい。僕は君に何か不安を持ったわけじゃない」
 罪の意識は既に僕の中で何度も咀嚼されていた。そして頭の中では、既に浮気の顛末とそれに対する自分の考えが、何度も推敲された形で原稿用紙を埋めていた。
 その女は気が狂ったような人間だった。僕が振り向かなければ死ぬと言って、目の前で手首を切った。やむなく女に構い始めてから一年、僕は女の虜になっていた。中毒症状みたいなものだ。そう、
「初めのうちに君を含めた周囲に相談しなかったことが、僕の最大の失敗だ。動揺を与えたくなかったから、僕一人で解決してみせるつもりだったんだ。でもそれは結局、僕に対する君たちの印象が揺らぐのが怖いだけの、僕の甘えだった。挙句、僕は君の知らないうちに、知らないことにつけ込んでしまった。何をしたかは、君が嗅ぎつけた通りだよ。それが悪い事だというのは、初めから分かっていたんだ。分かっていながら、ここまで来てしまったんだ」
 僕は頭の中の原稿を読み上げた。それは確かに僕の本心を取りまとめたことで、罪悪感の吐露も真実だった。けれども、喋っているうちに僕はなんだか可笑しい気分になっていた。作文を発表する恥ずかしさ。小野は切実な瞳で身じろぎもせず僕に注意を向けている。しかし彼女が向けている「僕」はどこにいるのだろう。今もなお様々な迷いと感情が渦巻いている僕そのものだろうか。原稿用紙にまとめ上げられた「僕」だというのなら、とてもおかしな話だ。
 甘い残り香を吸い、それがあの女のものと酷く似ていることに気がついた。どうしたのだろう、誠意を携えていたはずの僕はだしぬけに笑いだす。

------------------------

※短編(http://tanpen.jp/)様への第126回コンペ応募作品。
※メモ:「自分の言うことが全部ウソになる」と言っている友人がいた。自分の表現に対する自分による監視。あるいはその自意識こそが自分と自己表現との乖離を引き起こす直接の原因なのかもしれない。
スポンサーサイト



2013.03.08 Fri l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「島流し?」
「シマエナガだよ」
 画像検索により、パソコンの画面に小鳥の写真が並ぶ。シマエナガ、シマエナガ、シマエナガ。尾の長さに比べて体は小さく丸っこく、真っ白な顔につぶらな瞳。本州にいるエナガとはまるで格が違う可愛さだ。僕はこの小鳥を北海道のシンボルにしてもいいと思うくらい気に入っている。しかし残念ながら、背後からは全然関心の気配がない。

 シマエナガの群れがチルチルと鳴いて、頭上の林冠で戯れる。それを見上げていると首が痛くなる。ゆっくりと吐く息は外気との温度差が五十度もあり、人肌程度なのに沸騰したみたいな湯気をなす。手袋に収まっていても、立ち止まっていれば手はどんどん冷たくなる。シマエナガはもこもこして温かそうだ。そんなとき、僕はふと妹の手を思い出す。

 振り向くと、妹は何かの雑誌を読んでいた。今年で十七になるから、もうお年頃というわけで、兄が振る話題に食いつく暇もないくらい「セイシュン」でもしているのだろう。「セイシュン」とはつまり、毎日毎日が楽しくて仕方がない状態のことだ。ところで僕は「セイシュン」を経験した覚えがないくせに、高校時代に家族と交流した記憶もあまりない。無論勉強した記憶もない。そんな僕に、なぜ妹が「セイシュン」しているのだとわかるのか……別にわかっているわけではない。どうせだったらそうあって欲しいのだと、勝手に思っているだけである。

 小さい頃の妹はシマエナガのようだった。これは安直な喩えだが、しかし可愛らしかったことに変わりはなく、似ているといえば、似ていない事もない。雪にまみれて一緒に遊んでいるうちに、僕の手が凍傷になりかけたことがあって、半べそをかく僕を励ましながら、妹は小さい手で僕のできそこないのゴムみたいな手をさすってくれていたものだ。そのときの妹の顔が、どこか凛々しくて、真剣な様子に僕は余計泣くのを止められなかった。

 暖房の効いた部屋で、妹は黙然と雑誌を読んでいる。シスコンと呼ばれたくはないが、妹は今も可愛らしいほうだと思う。シマエナガの写真を一枚、パソコン画面いっぱいの大きさで表示し、座っている椅子を机正面から少し横にずらして、僕は妹の姿を眺めている。自分から声をかけたら負けのような気がする。でも妹はこちらの視線に気付きもしない。どうにかしてシマエナガの可愛さに目を向けて欲しいと思うのだが、どうやら、この部屋はちょっと暖かすぎるらしい。

----------------------

短編(http://tanpen.jp/)様への第125期コンペ応募作品。
シマエナガ応援キャンペーン作品でもあります(笑
2013.03.07 Thu l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top