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 ふつふつと湧き上がる。日に日に増していく日光のエネルギーに乗じて、水分が乾き温まっていく地表から、新たな緑が競って生まれていく。背に受ける日差しは、確かに熱を帯びている。
 感応した樹木が急速に水を吸い上げ、枝先に送った芽は膨らんでいく。体中の細胞が芽吹いていく。今なら誰にでも光合成ができそうだった。抑圧されてきた、そしてせきを切ったように進みだしている腐朽の匂いが、君の香りと混ざってむせ返る。
「腰が痛くなるから、たまに伸びでもして」
 立ち上がり、デモンストレーションをしてみせる。まだ葉むらに締め出されていない空が青白く抜けている。そそり立つ楢の木々。視線を下すと、君もぼくにならってのけ反るところだった。しなやかに曲げた体は、足場の悪い緩傾斜にたちまちバランスを崩してしまう。反射的にばたつかせようとする腕をつかんで倒れるのを阻止すると、君はばつが悪そうに「へへっ」と笑った。君の腕の感触の柔らかさが左手に残った。
 見通しのきく森の奥まで目を凝らす。シカの親子がゆっくり歩いているのが見える。カラ類の混群が林内をすり抜けるように飛んでいく。
「あ、花咲いてるよ」
 君はしゃがんでぼくを呼ぶ。膝頭の少し先に、葉に半ば枯葉に埋もれて小さなイチゲが咲いていた。君はそれを詳しく観察することができない。焦点が合わないためだ。風が起こって、君の髪は弄ばれる。ぼくはさっきから何度も使っている、なけなしの金で買ったデジタルカメラで、白い花の写真も撮った。しかし白色にはピントが合いにくくて、いらいらしながら、それを悟られる前にどうにか合格点のものを納めた。
「油売ってる暇はないぞ。早く採ろうぜ」
「そんな焦らなくてもいいじゃない」
「だめだよ。天気がいいだろう? 伸びるのはあっというまなんだ」
 そうだ、この力だ。朽ちたものでさえこんなに活き活きとしている。ましてぼくたちはまだ死んでさえいないのだ。フクジュソウ、エンゴサク、ナニワズ、オオサクラソウ。色とりどりの花が一帯に咲き誇る。たとえ一輪一輪を克明に捉えることができなくても、ぼくらは春の中にいる。
 君は歩きながらそばを通る幹に手を置く。ガサガサの楢、すべすべの樺、全てに自分と近いものを感じているような、そう願わせるような、微笑みを湛えながら。
「帰ったら、天ぷら作ろうな」
 君の提げたビニール袋から、討ち取られたコゴミが透けて見える。お腹が減ってきた。

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余談:
 ここはぼくが見つけたとっておきの場所だった。クサソテツというのは、本来森の奥にはあまり生えないのだ。地面に顔を向けていると、大きいチョコボールのような糞をたくさん見た。膝上まで茂っていて不思議でないミヤコザサの立ち枯れた稈がくるぶしくらいの丈しかないのは、どうやらシカが食い荒らしていった結果なのだろう。シカの舌に合わないクサソテツにとって、この明るい雑木林での事件は大きなチャンスだったらしい。
 君はコゴミを見つけると、獲物の前にしゃがんで愛おしげにたたずむ。放射状に打ち倒れた前世代の中心で、初々しい葉身たちは、小さな輪を作って内向きに巻いて身を寄せている。まさに急激に伸びあがり、目いっぱい腕を広げようとしているのだ。あたかも復活を体現するかのように。

知人が急性内斜視を含むもろもろの病気を発症し、目を使った仕事ができなくなった挙句にペットと死別したそうです。
フクジュソウ、エンゴサク、ナニワズ、エゾオオサクラソウはシカに好んで食べられません。
カタクリはシカに好まれるようです。
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2014.12.13 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 おでんが食べたくなって、家の裏にある雑木林の公園に凍えながら踏み込んだ。
 開拓前の森の姿を切り取って保存したという公園は、古い喬木と、比較的若い成木、幼木が一族然として身を寄せていて、二階の部屋の窓から眺めるたびに、現代においても森としての呼吸を続けているように思われた。人よりは鳥が遊びに来る頻度のほうが高いことからも、森としての空気が人間に放つ威圧感のようなものを察せざるを得ない。が、百メートル弱の緊張に耐えて公園を横切ればコンビニまではすぐだったため、私は敢えて長靴を履き、昨夜以来、犬とネズミの足跡しかつけられていない新雪へと分け入ったのである。
 月が上り始めて明るい夜気に、私を囲む樹群の裸体は黒々と映えた。淡く光る雪を突き抜けて、幹から放たれた枝枝の指を空に浮かべる支配者の気配に、私は警戒し、精神は囚われる。活動を休止している大きな生物たちは、いま、月に曝露された私を何か傲然とした態度で見下ろしているようですらあった。幾条もの影の隙間から公園の向こうに見えるコンビニの明かりは、ひどく贋物めいて目に映った。
 ただでさえ寒いのに、二百七十ケルビンくらいある残りの熱たちも、みるみる夜空に吸い込まれていくらしかった。公園を抜けると、コンビニと私とを挟む道路はいつも通りそこそこの交通量だった。
 異様なことには、今日は走っていく車がことごとくのろまなのだった。にもかかわらず、手前側の車線の上で制御を失って横滑りし、冗談みたいなスローモーションで私のそばの電柱に衝突する車が後を絶たなかった。手前側の車線だけ融解と凝固と圧雪と研磨の作用によって、昨日からの積雪がアイスバーンと化しているのである。
 車の流れが途切れるのを待ちながら、私は漠然と、森が得意がっていた理由がわかった気がした。ハザードランプをつけて路上停車する無様なぶつけ方をした何台かは、公園からはみ出す樹冠の下で惨めに縮んで見えた。
 ようやく震えながらコンビニに入るとなぜか暖かくなくて白い息が出た。急いでおでんを買ってしまおうとレジに向かった先の店員は、申し訳なさそうに、彼もまた震えながら言うのだった。
「申し訳ございません。当店は過熱器がみんな壊れてしまっていて、おでんも現在、販売を停止しているんです」
 聞けば、昨夜からの寒気でまず暖房が壊れ、次いで店内の寒さにあらゆる機器が動作不良を起こしているとのことであった。

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余談:公序良俗を乱すという近隣住民からの意見を、「営巣する貴重な野鳥に対するストレスを減らさねばならぬ」と主張する保護団体からの強力な圧力が組み伏せているらしく、公園には電燈が設置されていない。打ち負かされた不満は犯罪者が身を潜めているとかいうような妄想をうみ、増幅した不快感は近隣住民をさらなる連帯へと導きつつあった。しかし湿っぽく熱っぽい輪から外れて、夜の月夜なんかに公園の中から私の部屋へ嬌声が漂ってくるのを、結構楽しんでいる者もいるらしい、というもっぱらの噂である。

こそあど言葉を使わない練習。
2014.12.08 Mon l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 キヨトが防獣柵をおもむろによじ登り始めたので、ぼくたちはびっくりした。金網の向こうには暗い森がある。
「クワガタ探そうぜ!」
 ぼくらの背の二倍くらいある柵の頂上で、安定を確保したキヨトは得意げに言った。それで続く四人ががしゃがしゃと金網を揺らした。つま先を網目に食い込ませ指に金網を食い込ませる。指の痛みに我慢できなくなる前に上り切り、反対側に少しくだってから、飛び降りた。
 いきなり落ち葉の音がした。みんなの足音、そして僕の足音だ。振り返ると、森とぼくの間に隔たりはなく、ぼくたちは冒険者だった。
 キヨトは手当たり次第に幹を回り、樹皮に虫がついていないのを確認すると思い切り蹴った。それにぼくたちもしたがった。落ちてくるのは毛虫と枝葉ばかりだった。
「もっと奥に行ってみようぜ」とキヨトが言うと、
「おばさんに見つからないうちに戻っとこうよ」とシンジが抗弁した。
「畑の手伝いなんて退屈だろう。実習なんかくそくらえだよ」
 シンジは頼りなげな目でぼくを見た。ぼくは困って柵の向こうを見る。開けた人間の土地だった。そこへ戻るのは気怠いが、この土地からあまり離れるのは、やはり怖い。しかし羞恥心がぼくに自分の意見をためらわせた。
 突然森の中から葉を揺らして大きな体の動く音がした。後で聞いたところによると、ぼくたちはみんな最初、それをおばさんだと思ったようだ。もちろんそんなわけはなかった。黒い耳と額が小低木の隙間から見えた途端、パニックが起こった。
「おい、早く登れ!」
 阿鼻叫喚の様相で金網をよじ登る。ぼくらは柵に締め出されるわけにはいかないのだ。ぼくらは畑の側の生き物なのだ。そうぼくは念じながら、必死に柵の向こうへ逃げた。
 全員が網から離れるのと、ヒグマが金網に抱き着くのはほとんど同時だった。これで大丈夫だと思ったらしいキヨトが、網一つはさんだヒグマを挑発しようとしたら、ヒグマは何を考えているかよくわからない目をして鼻をふんふんした後、柵をよじ登ろうとし始めた。ぼくらには再び恐怖が訪れた。
 うまく登れないことを悟ったヒグマは、今度は地面を掘り始める。網のこちら側に森の木の子供が何本も育っている。ぼくらは柵が何をも隔てることに成功していないのだと知った。
 堰を切った水のようにぼくたちは駆け出した。誰一人として泣いていない者はいなかった。はるか遠くから聞こえる軽トラックの音に、誰もがすがっていた。

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霧野氏的には非常に重要なテーマ。
2014.12.07 Sun l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
冗長なので追記に書きました。

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2014.12.07 Sun l その他作品 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 家の電話にかけてくること自体がすでに異様だった。ぼくは家族のだんらんする夕食の席を離れ、自分の食欲が急激に失せていくのを感じていた。
「もう嫌なんだ……もう我慢できないんだ……」
 そう彼は何度も繰り返した。一年交際した江藤さんに振られてから、克己はすっかり亡霊然として、極めて悪質な執着を示していた。そんな小学校以来の友人を慰撫すべく、泣き言を聞き、憤りをなだめ、江藤さんに対する行動の履歴を聞き出すことにぼくは努めてきた。
 夏の夜の帰り道で自転車を押しながら、何度か江藤さんに宛てた携帯の長文メールを見せてもらったことがある。液晶の光が克己の愛憎を夜気に発散し、それをまともに見ていると寒気がした。そうしながら、ぼくは葉のざわめきだけが存在を知らしめる、道のわきの木々のように無害であろうとしていた。地道に彼が自身の熱を発散し尽くせば、やがて失恋への執着も消えるだろうと楽観していたのだ。しかし、その見込みは完全に間違っていた。
 彼の行為は自分自身に向いていたのだから、行為は発散されるものでは有り得なかった。行為は自己憐憫を肥やし、さらなる行為を実らせ続け、ちょっと連絡が途絶えたから沈静化したものと思っていた矢先にその電話は来た。彼は暴発したのだった。
「今さ、あいつが家に帰るときに降りるバス亭のそばなんだ。そろそろ着くころだよ。しばらくつけてさ、俺、ボコっちまうわ」
 今まさに、ニキビ顔の大男が暗いバス停を道の遠くから見つめている。彼はあまりにも粗暴だ。自分をコントロールできないのだ。
「おい、やめろよ、絶対」
「だってこれ以上このままでいたら俺、壊れそうなんだよ。我慢できないよ」
「お前、江藤さん殴ったら、絶交だぞ」
 自分の声も言っていることも嫌になるほど頼りなかった。江藤さんの住所は詳しく知らないが、少なくともぼくが今から自転車を漕いで間に合う距離ではなかった。ポケットから今春買ったばかりの携帯電話を取り出す。迷惑をかけるからウチらのことは気にしないで、と送られてきた江藤さんからのメールが脳裏をよぎった。
「お前まで俺を見捨てるのかよ!」
 絶望した叫びが貫く。このときぼくは、克己が高校の同級生ではなく、人間の本質を委ねる幼馴染としてぼくに縋っているのだと気づいた。江藤さんにダイヤルしかけた指がこわばる。
 傍観者も加害者なんですよ。背後でいじめを特集するキャスターの耳障りな声がした。

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最後の一文はあくまで噛ませ犬。正直千字じゃ足りなかった。
2014.12.07 Sun l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top