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 久しく見ていなかった白々しい快晴の朝に、ブリザードの景色は何度もフラッシュバックした。すると今でも雪の海をラッセルしているかのようで、妙な浮遊感があり、まともに歩いている自分を忘れそうになる。もちろん膝はがくがくだ。あのときよりもずっとクリアに、先輩の声がした。後ろからベルの音。振り返って思わず立ち止まる。
 にこやかに私を抜き去った直後、先輩の乗る自転車は前輪が雪の穴に嵌ったらしく、そこを軸に彼ごと大回転を描いた。幸い先輩は運動神経が良いから、身体が車体の下になる前に空中でサドルから離脱し、脇に積まれたまだ柔らかい雪の小山へ無様にダイブした。
「うわーびっくりした。何が起こった!?」
 先輩は運動神経は良いけれど、馬鹿だ。
「下水の熱で、マンホールのところだけ雪が融けてたんですよ。そこらへんボコボコ空いてるでしょう」
「あ、あー、それな」
「通行人に見られると恥ずかしいから早く起きてください」
 コートを乱してもがく先輩を横目に、林道をふさぐ倒木のように引っ繰り返った自転車に手をかける。ゆっくり引き起こすと、サドルの位置は私の腰よりも高い。
「なんか冷たいなーお前。熱出てたんじゃなかったの?」
「誰のせいですかそれ。これを機に先輩もインフルエンザでのたうちまわってください」
 先輩が体中の雪を払い落としているあいだ、私は雪のついていないハンドルやサドルを撫で回しておく。
「悪い悪い、冗談だよ。今度全快祝いで奢ってやるから元気出せ」
「慰謝料分も盛ってくださいね。フレンチで」
「それはお見舞い品の分で勘弁して……」
 馬鹿を言え、暇だからという理由であえてスノーモービルを使わず、積雪を測るためにスノーシューで山林を連れ回された夢のような数時間から、いまだに私は解放されていないのだ。あんなに辛い、そして中身のない業務は初めてだった。地吹雪と吹雪の中で亡霊のように巨大なダケカンバの樹群が浮かぶ。確かなのは、膝上まである雪の海を率先して進む先輩の姿だけだった。彼からもらった生姜湯とチョコレートを、あんなに理不尽な状況でもおいしいと感じた自分が悔しい。
 ばつが悪そうに先輩は私から自転車を受け取り、隣を歩きだす。四月になってこの人が転勤してしまったら、絶対に悪口を言い触らしてやろうと思う。
「まあいいですけど。楽しかったし」
「……まじか」
 こういうときに限って先輩は私の方を見ない。やはりこの人は馬鹿だ。

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短編(ttp://tanpen.jp/)第148期コンペ参加作品。
なんとなく軽い関係の二人を書きました。そのため文章自体もライトテイスト。
ただダケカンバの風景はもう少し洗練させたかったと今になって思う。でもこれはこれで。
タイトルを「ノーザンハイク」にしなかったのには未だに迷いがある。
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2015.02.12 Thu l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 K子の葬儀に参列する同窓生は少なかった。それも含めて懐かしかった。厳ついとか根暗とかではなく、彼女には昔から妙に近寄りがたい雰囲気があった。クラスの中では密かに「巫女」と呼ばれていた。
 修学旅行の夜、ホテルのラウンジで偶然K子と二人きりになり、何の話の流れでか昔話を聞いたことがある。 
「わたしの初恋は、川だったの」
 K子は確かにそう言った。彼女の祖父母は農家で、広い敷地のそばには大きめの川が流れていた。危ないから近寄るなと言われていたが、二階の窓から河畔林を眺めるたび、そこに隠された水面のきらめきを思ったのだという。
 祖父母が農作業に向かい、両親が買い物に行ったある日の午後、K子は玄関から駆け出した。緩やかな土手の林の中は深い藪になっていて、当時小学生だったK子は自分より背の高い草を懸命に掻き分けた。苛立って茎を折っているうちに湿布のような匂いが漂った。
 川原に抜けると、向こうの空の下は立派な森だった。振り返っても同じだった。まともに聞いたことのなかったセミの声が、森の中から溢れて空を埋めた。
 川の流れは澄んでいた。中央の州に、巨大なフキたちがアジサイの花のように茂っていた。うち一本のフキが突然揺れて丈を伸ばし、ゆっくり動いたかと思えば、丸い葉の間から見たことのない男の子がそれを抱えて現れた。
 日焼けに鼻を黒くした男の子はK子と同じくらいの年恰好だった。目が合うと彼は驚くわけでなく、微笑んで佇んだ。
「一緒に遊ばない? 友達になろうよ」
 そう誘う彼の表情は、少しだけ寂しそうに見えた。
 木の葉が風に鳴った。風はどこまで吹き渡っても祖父母の家や畑に辿りつくことなんかなくて、葉の音は遠くの山まで続いていくようだった。K子は男の子を前にして、急に心細くなった。
「ごめんね、帰らなきゃいけないから……」
 男の子は微笑んだまま「そうなんだ」と答えた。K子は背筋を緊張させながら踵を返した。せき立てられるように土手の藪に入る。なかなか湿布くさい中を進めなくて泣きそうになっていると、自分を探す祖父の太い怒声が土手の上から聞こえた。
「最後に川原から、『またね』って言われた気がしたの。すぐに護岸工事があってからは行ったことがないんだけど、ずっと忘れられなくて」
 話し終えると、薄いピンクのパジャマを着たK子は悪戯っぽく笑った。
 K子が溺れ死んだその川へ慰霊に訪れてみるべきか、私は悩んでいる。

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短編(ttp://tanpen.jp/)第149期コンペ参加作品。
中心的テーマを怪談っぽく発現させてみました。
湿布くさい草はオニシモツケ(Filipendula camtschatica)、男の子が出てきたフキはアキタブキ(Petasites japonicus subsp. giganteus)です。ちなみにオニシモツケは完全に林冠閉鎖した林床にはふつう繁茂しません。つまりこの河畔林は、少なくとも部分的にはそこまで鬱蒼とした木立にはなっていないと思われます。それでも、川原に出てみると立派な森に見えたんです。
作品は作品でもうこれ以上も以下もないわけですが、腕が上がれば雰囲気を少し変えつつボリュームを数倍にして同じネタで書けそうだなと思いました。

という記事を公開し忘れたことに3年気づきませんでした。(2018/9/12 筆者)
2015.02.07 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top