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 浅い川の流れを足に感じた。瀬に溜まった砂の中へ、少しずつ沈んでいく。その感覚から根を張るように川面が広がっていく。
 昼前に川で遊んだのだ。淵の方に魚が見えて、追いかけようとしたら、岸で見ていた父に怒鳴られて思わず立ち竦んだ。気持ちだけが川に流れて、流水と細砂の冷たさだけが、ずっと残っていたようだ。
 背伸びをしたり、中腰になったりして、魚は見えないか、色々な角度から川面を眺めてみた。日差しが白く反射して煌めく。その合間には高い木々の影が映って、魚は見えなかった。
 顔を上げて振り返ると、岸に父はいなかった。山間の空が濃くて恐ろしかった。雲ひとつなかった。父は空に食べられてしまったのだろう。次に食べられるのは僕かもしれなかった。
 頭の上を小鳥が掠めた。小鳥はまっすぐに、川の向こうにある枯れ木へ飛んで行った。枝先に溜まった小鳥は青い、オオルリだった。オオルリが大きく口を開けて、澄んだ声で鳴く。
 鳥が飛んできた方を見た。岸辺に少女が立っていた。
「危ないよ、早く川から上がっておいで」
 少女は僕を呼んだ。
「でも、空が」
「空より川の方が怖いの。さあ」
 川から出た僕の手を引いて、少女は丘に登った。踊るような少女の綺麗な素足に、僕は膝まで捲ったままのズボンが恥ずかしかった。少女は髪が短かったけれど、顔はよく見えなかった。
 開けた小さな丘の頂上で、少女と僕は腰を下ろした。
「良かった、あなたが消えないでいてくれて」
 少女は可愛らしく笑った。丘からは、さっきまで立っていた川が見えた。ここからなら魚がたくさん見えた。魚たちは皆、底の見えない青い淵を泳いでいる。
「君は誰?」
「わたしはね、あなたのお嫁さんなんだよ」
 僕は少女の顔を見た。目が大きいのと可愛らしいことだけがわかった。手に掴んだ草をちぎって少女に吹きかけると、少女は楽しそうに笑いながら草切れを摘み上げた。
「こうしてわたし、あなたが子供の頃に会っておきたかった」
 風が強く吹いて、草切れが舞い上がった。少女の隣にいるのに、穴に落ちたような気分になって、僕はこれが自分の夢なのか、少女の夢なのか、わからなくなった。
 穴じゃない、空だ。
 もう一度風が吹いて目を覚ました。祖母の家は風通しが良いのだ。蝉の声が聞こえるが、家族の音はなかった。きっと出かけているのだろう。
 縁側に出た。まだ夏休みだった。木の葉や草に照る光がかぼちゃ色に変わり始めるのを、僕はしばらく呆然と眺めていた。
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2018.08.16 Thu l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top