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某短編小説コンペサイトに、久しぶりに作品を投稿しています。票が入ることも、感想をもらえることも大変うれしく思います。いつもながら運営者の北村さんには感謝するばかりです。

8月の参加作品にいただいた感想についてすこし反応しておきたいと思います。「若人は~」って作品に対する文体の指摘です。

①話の内容よりも文体にこだわりがあるような書き方。
 ・・・本作品に明確なストーリーはありません。かつ、雰囲気や自分なりのテーマが描きやすくなるように文章を考えました。そういう意味で「話より書き方に注力している」とはいえます。書き方を最重視しているわけではありませんが、文体を読ませるような過剰さは、もしかしたら滲んでいたかもしれません。読書量や作文量が乏しいので、適材適所の言葉遣いを心得ていないことは他の作品からもきっと読み取っていただけているでしょう。

②アメリカ文学っぽい文体
  ・・・アメリカ文学は僕にもよくわかりません。読んだことがあるのは「白い犬とワルツを」やら「ギャツビー」やらの数冊だけです。アメリカ文学の影響を受けた村上春樹の小説はわりと読んでいるので、その影響は少しあるかもしれません。しかし、それよりも大きな存在感があるのは重松清と三田誠広だと考えています。2作家の作品はそれぞれ思春期の初期と末期にハマっていて、僕の中で印象が大変強いからです。ちなみに月並みですが夏目漱石と芥川龍之介の文章も好きです。簡潔で理知的な文章に憧れます。とはいえ、古い言葉にしがみついていると新しいことが書けません。そういう指摘ももらったことがあるので、肝に銘じて最近の小説も読みたい今日この頃です。

話は変わりますが、短編というサイトを知ってから結構たちます。僕が知った当時ですでに10年くらい歴史を刻んでいましたが、いまもなお走り続けているというのはすごいと思います。気に入っている作品は結構あるのですが、紙幅がないのでいくつかだけ書いておくと、まずsasamiさんの「九龍」。これは絶対プロの仕業ではないかと思うくらい流暢です。選評も熱くて読みごたえがあります(笑)。次に楡井さんの『銀河の夏、ニッポンの夏』。「肯くことを知らない扇風機はやっぱり首を振っている。」という最後の一文がとても格好良いです。同氏の作品は他に『木偶街道四号線を北へ』なども好きです。euRekaさんの作品はたくさんありますが、「質問」はすごく印象的でした。いつも文章に切実さがあるのですが、この作品には特に精神が揺すぶられます。同期っぽい位置づけの伊吹ようめいさんは、僕がいない間に「そして夜は俄に輝きを増して」という作品を書いていました。まっすぐで情景が鮮やかで、とても良いと思いました。わがまま娘さんの作品も好きです。この人の作品はすごい勢いで洗練されていった印象です。「闇と光と」なんかいいですね。

みなさんそれぞれ素敵な作品を残していっているわけですが、どんな読書経験をしてこられたのか、好きな作家はいるのか、そんなことをふと思ったのでした。
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2018.09.12 Wed l 短編(サイト)関連 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「ばかやろう、いつ死んでもおかしくねえんだ」
 一時間前まで雨が降っていた渓畔の泥質土に、ヒグマの明瞭な足跡がついていた。それを見落とした後輩・小出隊員を呼び止めた楠本隊長は、しかし次の言葉を詰まらせ天を仰いだ。足跡が、彼らのやって来た沢の入口へと向かっているためだった。
 両岸迫り寄るV字谷を風が吹き抜け、一帯の草木が鳴る。
「うわ、すれ違ったんすかね」
 楽しくなってきた、と呑気にはしゃぐ小出隊員を叱り飛ばしたのはずっと後のことである。背丈を越える藪を掻き分けてどうにか沢を稜線まで詰め、隣の谷の源流に入り、中盤まで下ったところでようやく作業道に出会っても、楠本隊長は喉と両耳が緊張しっぱなしで大声が出せなかった。車の置き場所に戻ってくるまで、後ろで小出隊員は繰り返し森のくまさんを熱唱していた。
 伐開地のベース小屋に帰ると小出隊員はすぐに昼寝を始めた。踏査日誌とヒグマの痕跡報告書を書きながら、隊長は後輩への小さな嫉妬を奥歯で噛み潰す。ペンが止まって外を見やる。夏空の青さに目が痛む。
 あと三分で遭難の可能性を疑わねばならないという時刻になってB隊の車が帰ってきた。運転席からボロ雑巾のような吉村隊員が降りてきた。助手席の関隊員も似たような格好だった。とはいえ誰もそれを気にしない。汚いヤッケを羽織り、虫の集まるタオルを頭に巻くのが彼ら学生ヒグマ調査団の正装だった。
「収穫はあったか」
「めっちゃ採れました、タモギタケ!」
 色褪せたザックから、吉村隊員はジップロックを取り出した。本来熊糞を回収するべきその袋たちには、黄色いキノコがこれでもかと詰められている。大岩のポイント付近にあるオヒョウの枯木にびっしりと生えていたのだという。
「水に浸けておこう。今夜で食えるだけ食うぞ」
 明日には授業を終えた他の隊員たちが加勢する。山菜の取り分は調査の士気に関わる問題だった。
 助手席から降りた関隊員は着替えもそこそこに、外に戻って道端のオオイタドリやエゾニュウに鉈を振る。その音に目覚めた小出隊員も煎餅布団から抜け出して、二人は刈り取った棒切れを手にチャンバラを始めた。エゾニュウの重さに振り回されてゲラゲラ笑う。
「あいつらがバテたら、温泉にでも行くか」
 隣で日誌を書く吉村隊員に、楠本隊長は言った。
「おお、行きたいです!」
 上機嫌な声があがる。その前に報告会か、と考えながら、隊長は微かに沢の匂いを嗅いだ。
2018.09.12 Wed l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
故郷で地震が起きていた。僕はそれを寝起きのネットニュースで知った。幾重にも重なる山々の襞が、ことごとく地肌を剥き出しにしていた。生き埋めになった生き物は多いだろう。土砂流木に押しつぶされた家たち。被害者の数は確定していない。大停電。こんな日に限って天気は良い。

家族の安全を確認し、テレビをつけてギリギリまで情報を拾った。何のギリギリかといえば、出社時刻だ。こんな日にも日常はしたたかに続く。続けることを強いられている。

日常は、天変地異に限らずさまざまなキッカケでいともたやすく瓦解する。その瞬間は、一応僕も知っている。そしてその瞬間は、いつでも僕らの陰に控えている。日常という概念ほど不確かなものはない。よってしたたかな、という形容動詞も含め、日常などというものは実際のところ幻想に過ぎない。それでも1%の非常事態がない限り、僕らは99%の日常を強いられている。

とまで書いたが、この言い方には間違いがあるだろう。僕は建設的な生き方が苦手だ。日常を健全に維持する能力も低い。要は消極的で受動的なのだ。それを自覚し、言い改めなければならない。日常は強いられるものではない。幻想であっても、僕らは無自覚なりに自ら努めて、日常を築いている。築こうと努めている。

非常事態とどう向き合うかを考えることは大事だと思う。しかしそれと同じくらい、この日常の「不確かさ」に対してどう向き合うかを、僕らは考えなければならないと思う。これは僕の大きなテーマのひとつだ。
2018.09.07 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top