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 あやから文字が送られてきた。僕は近所の喫茶店でモーニングを食べていた。
--首がいたい。
--寝違えたか?
 変な顔文字が返ってきた。最近流行っている種類のものだ。僕はトーストの残りをコーヒーで流し込んだ。顔文字はきちんと時を刻んでいる。
 たぶん肩こり、という補足は車の中で確認した。
--しんどそうだな。
--しんどい! 死にたい!
--死にたいか。お前の望みは聞き入れた。
 変な顔文字を挟んで、「生きろ」と送り、僕は車を出した。
 会社への道中、あやの姿を思い浮かべた。歩道を歩くあや。助手席のあや。電車の中で僕に文字を送るあや。いずれにしてもあやは制服姿だった。写真で見る最近のあやは、僕の知るあやとはどうしても結びつかない。卒業してから一度会おうとしたのを、あやはすげなく断っている。
「わたしたち、たぶん会ったらいけないと思う」
「どうして」
「前に進めないんじゃないかなって。お互いに、新しいものに触れるべきだと思うんだ」
 それがあやの言い分だった。僕は二日落ち込み、一日怒りに狂って、あやを過去の人にすることを受け入れた。
--いじめられてはいないのか。
--おまえさんじゃあるめえし。
--ですよねー。
--そっちこそどうなの。
--どうにかやってるんだな、これが。
 牛丼屋でスマホをいじる。変な顔文字合戦が勃発する。時間の止まった間柄は気楽だ。
 仕事が終わってすぐに再びあやから文字が送られてきた。今日は構ってほしい日のようだ。
--運動不足つら。
 僕は車に乗り込んだ。後ろには登山道具が積んである。
--実は俺、去年から登山始めたんだ。
--うそ、意外。
--なまった体には効くぞお。
 そんなことを送っておきながらバッティングセンターに寄った。平均して週に一ゲーム。空振りはしない。
--いいなあ。
 スマホを持つ手が痛んだ。トラブルで野球部を辞めてから、僕の高校生活はあやと共にあった。それでどれだけ救われたことだろう。あやは僕を形作る大切な要素だった。だから、あやと出会うきっかけになったものも未だに捨てられない。
--始めれば?
--でもわたし絶対たらたら登るタイプ。
--俺なんか観察メインだから全然動かんぞ。
--じゃあその間にわたしが追いつくかどうかってとこかな。
--春は特に遅いよ。綺麗な花がたくさん咲くから。
 僕は帰路についた。ハンドルを握った手がまた痛んだ。どんな返信が来ても無視しようと決めた。今は秋だった。
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2018.10.28 Sun l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 今夜は星がよく見えるよ、と美結は言った。丘には二人の他に誰の気配もなかった。綺麗に見えなくては困る。ここにないあらゆるものから僕は逃げてきたのだ。
 上空のオオジシギに「だめだよ、今夜は星を見るんだから」と嗜める声。美結は楽しんでいるだろうか。それが気になるせいで、僕はまだ彼女の顔をよく見ていない。

 僕の担いできた三脚に、美結の抱えてきたプロミナーを取り付ける。流石にこの作業は体が覚えていた。手こずって美結に笑われた頃が嘘のように、自分の道具のように扱えた。しかし、星のことはまるでわからない。
「あれがデネブ」
「ブー、あれは土星」
 プロミナーを覗く。なるほど土星の姿が見えた。
「博識ですな」
 躊躇うように服が擦れる音。それから、
「わたしね、鳥を見るのが楽しいと思えなくなった時期があるの。代わりに星の勉強ばっかりしてたんだ」
 その時期は僕と親しくなる少し前だった。美結という人間は、一から十までずっと鳥が大好きなひとだった、わけではないらしい。いくつかの星座を教わるうちに、彼女に目を向けることに抵抗がなくなった。瞳が微かに星明かりを反射している。
「美結の一番好きな星はどれ?」
 小さく唸ってから、美結はプロミナーを覗き、調節した方向に指をさした。
「ぼんやりした光、見える?」
「うん」
「あれね、星じゃなくて、銀河なの」
 頭を殴られたような衝撃があった。目を凝らすが、眉間に力が入るばかりで仕方なく、美結に代わってレンズに目を当てた。空に浮かんでいる天体は小さくても確かに、本やテレビで見たような大銀河だった。途方もない世界が広がっていた。同時に、美結の匂いに気づいた。
 このプロミナーから眺めてきたものが、遠くの銀河と重なっては消えた。森林公園に現れたというアカショウビンを探した。ウミガラスを見に離島にも行った。ハヤブサの巣を観察しよういう美結の誘いが僕らの始まりだった。マンションに作られた巣の営みを、静かな講堂で息を潜め、僕らは窓から何時間も見守った。
「星じゃないけど、一番好き」
 顔を上げ、美結を見たが、咄嗟に声が出ない。勘違いなのはわかっていた。僕を待つ不確かな日常に、こんな星空はないのだ。それでも、美結のいた日々が宇宙の全てであるような気がした。そうあって欲しかった。

「覚えておくよ」
「うん」
 この日を、とは言わなかった。代わりに暗順応した目で、僕は美結の輪郭をキリキリとなぞった。
2018.10.20 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 この頃は朝晩がずいぶん涼しくなりました。北の街ではこのあいだ雪が降ったそうです。わたしは今朝のシャワーを一度上げました。浴室の窓を開けると、露に乗って枯れた草葉の匂いが立ちます。窓から見える紅葉が綺麗で、あなたの赤いシャツを懐かしく思います。お元気でしょうか。
 わたしは今日も濡れずに夜を越えることができました。あなたが直してくれたわたしの屋根に、わたしは守られているのです。
 あの嵐の夜のことは、今でも思い出すと凍えてしまうほど怖くなります。わたしの屋根は乱暴に引き剥がされ、大切にしていたものすべてが怪物たちに暴かれてしまいました。逃げ場もなく、風に殴られ、わたしは椅子や本や小物たちと一緒に濡れながら震えるしかありませんでした。
 あなたがやって来たのは、そんなときでした。怪物たちを押しのけ、一心不乱に板を打ち込んでいくあなたの姿を、わたしはじっと見上げていました。
 赤い屋根は、今ではわたしのいちばんの自慢です。立派な屋根だね、と町の人から言われるたびに、わたしは誇らしい気持ちになるのです。だから、あなたがまた訪ねて来てくれたら良いと、いつも思っています。あなたはわたしの作ったキッシュを、美味しそうに食べていましたね。あれからまた少し、腕が上がったんです。ねえ、あなたは今、どこにいますか。
 あなたがいたことを知っている人は、わたしのほかにはもう誰もいません。確かなものは、わたしの屋根だけです。仕方のないことですが、わたしももうすぐここからいなくなるでしょう。来年かもしれませんが、この後すぐかもしれません。けれどきっといなくなるでしょう。そのときはわたしの屋根をひとかけら持って行くつもりです。新しい屋根の下で、新しい宝物と一緒に、わたしは新しい時を刻みます。
 そしていつか、宝物すら置いていく日が来るでしょう。それはわたしがあなたを忘れる日です。でもあなたはいなくなりません。あなたがいるから、新しいわたしもいるのです。
 だからわたしは、なるべく悲しまないように、今日から冬支度を始めることにしました。紅葉がすべて散る前に、食物を整理し、冬服を出し、ストーブの埃を払うのです。それから屋根には、雪止めをつけないと。
 昼間はまだ日が当たって暖かさを感じます。わたしは今が大好きです。けれど季節の変わり目ですから、風邪には気をつけてください。紅葉がひとひら落ちました。どうかお元気で。
2018.10.20 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top