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昔付き合っていた彼女が、先程僕に、飼い犬が死んだと報告してきた。
厳冬の最中の、一方で春らしくもある穏やかな昼下がりだった。
喫茶店に呼び出された僕は、カプチーノを飲みながら彼女の話を聞いていた。
元恋人でもいいから聞いてほしいと、彼女は思ったのだろう。
それほど、哀しかったのだろう。
しかし僕は冷徹だ。だから、「そう、お気の毒に」としか言わなかった。

かつての彼女は優しかった。その犬をいつも可愛がり、僕に自慢していた。
雨の日に拾った柴犬は、元気に育って彼女になつき、彼女も犬を愛したそうだ。
近所でもよく可愛がられて、やがて聡明な老犬となり、それも彼女は自慢した。
その後の話は、僕が彼女と別れた後の話は、聞いていなかった。
それでも犬が死ぬまで、やはり、彼女は愛したのだという。
だけど、死んじゃった。
彼女は大人気もなく、幼い涙を必死にこらえて、そう言っていた。

無論僕にせよ、その犬を可愛がってはいた。
だがそれは、その犬を愛していたからではない。
彼女が愛した犬だったからに、他ならなかった。
だからもう、愛すべき彼女が愛していた犬など、既にどこにもいなかった。
さらに、僕はその犬を写真でしか見たことがないのだった。
だから……。
僕が愛せたのは、ただその写真に宿された、彼女の想いだけだったのだ。
だからもう、今の僕には、その言葉しか。

彼女は「ありがとう」と言った。
何のためのありがとうなのか、僕にはわからなかった。
分かりたくもなかった。

家に帰った僕は今、パソコンの前で、こうして文を打っている。
だが指が動かない。
いたたまれない気分でいるから、なおさら、少し苛立たしい。

喫茶店の外の空気はやはり寒くて、僕の手はあっという間にかじかんだ。
隣の彼女は、僕と同じように手をすり合わせて「寒いね」と言っていた。
僕はそれに頷かなかった。代わりにそっと、彼女を見た。
彼女は髪を切っていた。かつての長髪は、面影もなかった。
僕が愛したのは、過去の彼女なのだ。
今の彼女と共有すべきものなど、何もないのだ。
だからもう、呼び出したり、微笑みかけたり、声を聞かせたり、してくれるな。

彼女は、泣いていた。
「ごめんね」と、僕に言った。
その言葉の意味を、僕は痛いほど理解していた。

僕はもうすぐこの文を書き終える。
ただ僕にはまだ、ブラウザを閉じる勇気がない。

デスクトップの背景には、犬の写真が飾られていたのだ。
彼女がくれた柴犬の写真が、大きく、ずっと。


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2011.12.01 Thu l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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