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 翌日から、幽霊少女は「星の国に帰る準備を始めた」らしい。
 どこまでが本気で、どこからが冗談なのかは、少年にはよく分からない。しかし、その宣言が、「二人の夜間交流は有限のものである」ということを示唆しているのは明らかだったので、それを聞いた少年は驚き、そして心の底の方で、漠然とした寂しさを覚えるのだった。
 (ずっとここで俺とお喋りをしたいわけじゃ、ないんだな)
 夜空は再び晴れ渡り、無数の星が瞬いている。少女に教えてもらったオリオン座に手を伸ばした少年は、それから空気を掴んで、拳にじんわりと力を入れた。
 「ねぇ、準備って、大変なの?」
 彼はちらりと少女を見やりながら、そう問いかけた。少女は、なんだか少しやつれている。
 「ちょっぴりね。寝不足だし」
 そう答えてから、「でも、準備に集中していた方が、ちょっと楽」と付け足す少女。
 後半の言葉の意味が少年には解せなかったが、もとからよく分からない事を言う子ではあったので、少年は「そっか」と曖昧に笑った。
 「でもさ、ならこんな時間に起きてて大丈夫なの?」
 彼は敢えて聞きたくない事を聞いてみた。彼女の健康は気遣われたが、寝た方が良いとも言いたくはない。それでも少女の本音は気になる。それは、怖いもの見たさの感覚にも似ていた。
 しかし次いで、彼女にしても自分にしても、ボロが出たかもしれないな、と少年は頭をかく。幽霊に寝不足なんて、果たしてあるのだろうか。
 かたや少女は彼のそんな懸念をよそに、何かを考えているようだ。そしてちらりと少年の顔を盗み見たかと思えば、もじもじと、こう答えるのだった。
 「君といたら、もっと楽になれるから、大丈夫だもん」
 少年は、少女の顔をまじまじと見た。彼女はこちらを見てはくれない。
 それから彼は尋ねたくなった。じゃあ、なんで帰る準備なんてするんだよ、と。嬉しさの半面、怒りに近い感情が、彼の心を僅かに揺らす。だが間をおかずに、彼の頭では少女の言葉が浮上してきて、その衝動に冷や水を浴びせた。
 (そうか、こいつ、俺を連れて星の国へ行くんだっけ)
 尋常でないこそばゆさに、少年は悶える。そんな自分がまた、余計に気持ち悪くて仕方ない。
 様々な感情のせめぎ合いを鎮めるように下を向いて、苦し紛れに「何を企んでるんだよ」と言えば、今度は少女が彼を見て、「秘密」と、ニヤリ笑うのだった。

 彼女が幽霊なのか、違うのか。それはマスターの幽霊に遭遇した後になっても、結局のところは不明なままだった。しかし、その曖昧さが保たれたままでも、少年が少女と楽しい時間を過ごすのには何の問題もないことに、彼は気付いていた。先のような際どいラインでひやりとすることもあったが、つまりはそれも、楽しみのうちだったのだ。
 だから少年は、彼がマスターに会ったことも、少女に話すつもりはなかった。彼女と二人で過ごす以外の場で起こったあらゆる事実を、少年はずっとシャットアウトして来たのだし、ましてやマスターとの出来事は、少女の身にも関わることなのだ。ゆえにそれをこの場に持ち込んで、「何か」を乱してしまうことを、少年は、ひどく恐れるのだった。
 また、少年は彼女に笑いかける間にも、頭の隅では父親のことを燻ぶるように思い続けていた。どんなに意識外に押しやろうとしても、そう意識することが逆にマスターの「気がかりでね」という言葉を思い出させるのだ。話題を表に出さずとも、忘れることなど、少年には無理だった。一番親身になってくれそうな相談相手がこんなに身近にいるのに、相談することを、自分自身が許してくれない。その歯がゆさがまた、少年に凍てつく風を鬱陶しく思わせた。

 少女が準備を始めてから一週間後の夜、彼女は「そろそろ終わるんだ」と少年へ報告した。
 ずいぶんかかったんだなぁと少年は呑気に考えたが、その原因には自分のことも含まれているような気もして、若干決まりが悪くなる。
 「俺も一緒に星の国に行くんだろう?何か、手伝わなくてよかったの?」
 少年は今更ながら聞いてみた。もっとも前半の言葉については、自分でもどういう事なのか、理解してはいなかったのだが。
 「いいの。私自身の準備だから」
 少女はケロリとして言った。それは決してたしなめるような口調ではなかったものの、少年の「触れなくていいところに触れてしまった」という後悔を再浮上させるには十分だった。
 自意識過剰だなぁ、と頭をかいてから、彼は月明かりに照らされて流れて行く雲を見上げる。
 (じゃぁ俺の準備は……)
 少年の脳内には、いつものように父親の影が現れていた。ただ、今回は少し違っていた。その影にはさらに、隣の少女への劣等感がぶら下がって来ていたのだ。
 少女はこの一週間で、意図はどうであれ、自分の身の回りの整理に決着をつけていたのだろう。それは彼女も「私自身の準備」と言った通り、彼女の「昼」の事に過ぎないのかも知れないとは思う。しかし、自分の見えないところで、目の前の女の子が自分よりも先を歩いているのだと考えると、少年は、無性に落ち付かなくなるのだった。
 「……なぁ、長い間話してない人と話す時って、なんて言えばいいのかな」
 具体的な相談はできない。しかし、これならきっと許容範囲だ。
 その質問に対して、少女はキョトンとした顔を向けた。そしてそうかと思えば、妙に幼げな目で「どうして?」と問い返してくるのだった。
 どう説明しようか少年は一瞬迷う。しかし、彼女のなぜか少し泣きそうな様子と、いつも以上に強烈なデジャヴュが彼の思考を激しく妨害したために、ついに有効な言葉を導き出すことはできなかった。
 「いや、なんでもない」と言う少年を、少女はなおもしばらく見つめ続けていたが、彼その目を見つめ返す度胸はなかった。ただし、誤魔化すうちに自己完結した事柄が一つ。
 今日は家を出るのとほぼ行き違いに父さんが帰って来たから、俺が帰るころにはまだ、父さんは家にいるかもしれない――そう思うとなんだか、チャンスは今日しかないような予感が、ほとんど強迫的な勢いで少年に迫ってきたのだ。
 明日は、満月かもしれないなぁ。
 大きく息をしてから、ふと、少年は呟いた。

 「今日はたくさん一緒にいたね」
 月の位置を眺めて、笑いながら言う少女に、「うん」と首を振る少年。
 もう、覚悟は決めていた。
 少年が横顔を覗くと、少女は目を瞑って深呼吸をしている。愛くるしい、という言葉を初めて思い浮かべ、彼はわざと鼻で笑った。
 少女はやがて瞼を開く。そして少年に目を合わせると、それから、ゆっくり囁いた。
 「明日も、ここに来てね」
 少年は何も言わずに、もう一度だけ、強く頷いてみせる。
 それは、二人だけが知る、最後の約束だった。

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2011.12.07 Wed l 幽霊と少年(完結) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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