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 扉の隙間から居間を覗くと、少年の父親は胡坐をかき、こちらに背を向けて座っていた。だが何をしているというわけではなく、頭は垂れ、肩はただゆっくりと上下を繰り返している。どうやら居眠りをしているようだった。
 そっと足を忍ばせる。蛍光灯の灯りは古臭く、暗闇から帰って来たばかりの少年の目にはシパシパと沁みた。ストーブは時折カチン、カチンと金属音を発しながら、子守歌でも歌うように小さな火をともしている。
 父親の正面に回り込み、少年はその姿を見おろした。
 (いつの間にか、痩せたのかな)
 記憶の中の父親より、目の前の人物は白髪の量もずいぶん増しているようだった。
 そのままストーブと壁掛け時計の音だけが時を刻んで、数分が経つ。
 少年は、まだ切りだすべき一言目が思い浮かばずにいた。父親のどこを観察しても、言葉なんて見つからなかったし、そもそも、正常に思考が働いていたわけでもない。まともに考えようとすれば、待ち伏せをしていたかのように、言いようのない憎悪と、計り知れない悲しみが押し寄せてくるのだ。それを抑えながら、冷静に思考をすることなんて、少年にはできるわけがなかった。何よりそんな自分が腹立たしくて、父親を睨みつけているのは、もはやほとんど八つ当たりに等しかった。
 それでも今、少年は正面から父親に向き合っていたのだ。惰性でも強制でもなく、まぎれもない少年の意思で。それだけは、せめて認めてほしかった。
 (ねぇ、父さんも正面から、俺のこと見てくれよ――)
 少年は強く目を閉じて下を向く。そして声にならない声で呼びかけた。
 父さん、父さん、父さん、父さん……――。
 それから不意に空気の動く気配がして、彼は顔を上げる。
 すると父親は、赤い目を大きく見開いて、こちらを向いていた。少年を、見てくれたのだ。
 しかし少年の心は、次の瞬間憎悪で満たされる。その目を指で潰してやりたくなる。
 言葉よりも先に、手が父へと伸びていく。だが、それが父親に触れる前に彼は硬直した。父親の目からは、大粒の涙がこぼれ始めていた。
 そして少年は動けないまま、動揺を露わにするのだった。父親が、正座に座り直すや否や、土下座を始めたのだ。
 「すまんなぁ!すまなかったぁ!」
 酒に焼かれた上に涙に溺れた喉は、まともな声を出していなかった。しかしそれがまぎれもない謝罪であることは、少年の目耳にも疑いようがない。
 少年は、自分の心がぐしゃぐしゃになっていくのを感じた。父親が自分に対して並々ならない罪悪感を抱いていたことは分かる。自分がそれを当然だと思っていたことも分かる。しかし、土下座は駄目だ。卑怯だと思った。どうしてこっちを見ないんだ。悔しい。悲しい。寂しい。
 「立てよおぉ!」
 込み上げる形容の出来ない感情に任せ、少年は吠えた。
 びくりとして顔を上げた父親は、何度か浅く息をしてから、よろよろと立ち上がる。そして二人は対峙したのだった。文字通り、真正面から。
 少年の父親は何も言わず、ただ涙を流していた。
 (自分も今、同じように泣いているのだろうか)
 少年は考えながら、目の前の、自分より少しだけ大きな人間を眺める。

 「からださ、こわすなよ」
 それが、少年の魂からようやく捻りだされた言葉だった。
 相変わらず、ストーブは歌いながら火をともし、時計は針を動かし、父親は泣いている。
 だがその部屋の中で、とけるように変わっていくものを、少年は、一つだけ知っていた。

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2011.12.07 Wed l 幽霊と少年(完結) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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