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 自室に寝転がり、少年は薄く光が滲んでゆく天井を眺めていた。
 あれから彼の父は、ずっと泣いていた。しかし泣きながらも、やがて自分の近況を、少年に喋り始めるのだった。ようやく定職につけそうだということ。母さんは元気にしているぞということ、酒はこれでも七年前と比べると、飲む量が減ったのだということ。
 そして「でもこの際、酒はきっぱり止める」と、少年の父は彼に誓い、それから初めて、彼に笑顔を見せた。間もなく気を失うように眠りについて、少年は少し困ったのだが。
 いずれにせよ、その出来事は、少年の心に大きな変化をもたらしたのだった。具体的にどう、という説明はしがたいが、重量感が全然違った。どうやら少年の中のわだかまりは、家の隙間から漏れだして、夜闇にすっかり溶解してしまったらしい。
 きっとこれで、よかったのだろうと、思う。
 「そうだよな、マスター」と呟いてから少年は、勇気をくれた少女に、ありがとうを言わなければいけないな、と、ひとりで笑った。
 そうだ、昼にうちに学校にも行こうかな。先生に会って、たくさんのお喋りをしよう。買い物にも行こう。あそこのスーパーの試食のおばちゃん、元気かなぁ。それから、それから……。
 しかし、少年の意識は意思に反してみるみるうちに薄れてしまう。やがて少年が見ていたのは、少女と二人で学校へ行く、幸せな夢だった。

 目を覚ましたことには、とっくに次の夜が来ていた。情けないなぁ、と少年は自分に呆れ、しかしまだ心に余裕があることに、ほっと息をついてから、暗がりの壁画に笑いかける。それは、もう過去のものなのだ、という肯定の笑みだった。
 それから少年は、いつもより随分早く家を出た。少女に会いたくて、しかたがなかった。
 三十分前にはいつもの屋根の上に登って、少年は夜を眺めていた。乾いた空に、大きな月が浮かんでいる。それに霞まされてもいたが、星の輝きも、その日の少年にはいつもより美しく見えた。月光は街並みにも落とされている。ポツポツと灯っている街明かりと共に、夜の地上を飾っていた。
 少年は待った。胡坐をかいたり、体育座りをしたり、少女と歩いた屋根の上の散歩道を辿ったりしながら、あの笑顔がやって来るのを、ひたすら待った。
 けれど、約束の時間の五分前くらいになると、少年は急に不安を感じ始めるのだった。
 ――もしかしたら、少女はここに来ないのではないか。
 まさか、と首を振り、少年はもう一度屋根の端に座る。
 少女は自分で言ったのだ。「ここに来い」と。どうして自ら約束を破る必要がある?
 (あ、からだでもこわしたのかな)
 幽霊のくせに風邪なんか引くのかな、と少年は笑う。それからひとつ息をつき、黙って街を見おろせば、さっきと変らない光の点が散在していた。
 しかし、さっきはなかった光がその中にあるのを、間もなく少年は見つける。その光は小さかったが、他のものとは様子が違ったので、分かりやすかった。ゆらゆらと、揺らめいていたのだ。たぶん、何かが燃えているのだろう。
 「おい」
 そう考えた瞬間、少年は立ち上がっていた。思わずここにいない少女に呼び掛ける。
 彼にはとても嫌な予感がしたのだった。あの炎に、瞬時に結びつくイメージがあったからだ。
 ――珈琲屋が、燃えている。火をつけたのは……。
 少年は走り出した。酷い足音が耳の中に響く。梯子をほとんど飛び降りて、凍結した歩道に足を滑らせながら、少年はただ走る。
 彼女はここに来るんじゃないのか?
 ――いや、きっと来るはずはない。なぜなら、「あそこ」にいるから。
 凍えそうな不安に息苦しさを感じながら、彼はただ、珈琲屋につくことだけを、強く願った。

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2011.12.08 Thu l 幽霊と少年(完結) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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