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 はっきりと思い出した。七年前だ。
 エゾヤマザクラが咲いた頃、少年の父が職を失った。十五歳の少年が不登校になり始めた時期も重なって、それは酷い春だった。
 元々仲が良くなかった父と母は激しい喧嘩をし、その度に、父は酒に溺れた。そんな二人を尻目に、少年はただ、引きこもっていた。そんな毎日だった。
 しかし、ある日、父は少年を呼び出した。「散歩に行くぞ」と言い、父は無理やり少年の手を引いて、陽気な空の下を、どこまでも歩いて行く。
 温かい風が過ぎ、やがて辿りついたのは、貧相だが、どこか洒落っ気のある珈琲屋だった。
 出迎える髭面のマスターに、はじめ少年はうろたえた。逃げようかと思った。しかし、マスターと父親は少し相談をしてから、彼に逃げられぬよう、ある使命を託したのだった。
 マスターが呼ぶと、休憩室の方から、小さな、少女がやってきた。
 「小学校に入学したばかりで、友達がいないそうなんだ。相手をしてやってくれないか」
 マスターは優しく少年に言った。
 その日から、少年と父は、何度も珈琲屋に足を運んだ。その度に父はマスターと長話をし、少年は少女と一緒に遊んであげた。少年はいつも少女の目線に高さを合わせたから、小人になったような気分で、彼はいつも珈琲屋を見上げるのだった。
 またそんな接し方だったせいか、少女は少年を、とても好いてくれていた。怪我をした彼女を抱え、店の裏口へ回る時にはキスまでされて、柔らかな少女の髪の匂いを感じた少年は、幼子相手に顔を赤くした。
 少年自身、彼女にはどれだけ心を救われたか知れない。少女に会うのは、いつの間にか少年の大きな楽しみになっていたのだ。そう、あの屋根の上での、「お喋り」のように。
 父にしても、母が強く離婚を迫れば迫るほど、少年と共に頻繁に珈琲屋を訪れるようになっていった。マスターはその度に父を叱っていたが、散歩をするようになって以来、父の飲酒量が減ったことを知っていたから、少年はそれでもいいじゃないか、と、思うのだった。
 夏が来る頃には、マスターと少女と、そして少年の父と少年は、もはや家族のように親しくなっていた。マスターの「記念だから」という誘いで、集合写真まで撮った。現像したら渡すからと、マスターは確かに顔をほころばせながら、少年たちに告げてくれたはずだ。
 しかし、その晩、父は荒れに荒れた。母との離婚が確定したのだ。母は早々に寝てしまい、少年は、今までにないくらい酒を飲む父がガラスを割りなどしないかと、見守っていた。
 「気晴らしだ。ドライブしてくる」
 そう言って立ち上がった父の前に、少年は立ちふさがった。危険だ、やめてくれと、少年は必死に訴えた。だが父は彼を押しのけて家を出ていく。あとを追う少年。
 運転席の前でも止めにかかった少年を、父親は殴った。そしてひるんだ隙に、父は彼を後部座席に押し込んで、車のエンジンをかけるのだった。
 急発進。暴走する車。少年はその加速度と遠心力に翻弄される。どこを走っているのか、きっと父も分かっていない。不意に滑る父の手。迫るガードレール、ヘッドライトに照らしだされる、街灯の鉄柱、そして――暗転。

 少年は、ゆっくり目を開けた。
 変わらない現実。消防車のサイレンが空しい。もう、逃げ場はないだろう。
 「お前、生きてんじゃん」
 少女は応えない。
 「はは、大きくなったもんな」
 少年は、幼子に話しかけるように言った。少女の確かな体躯を、全身に感じながら。


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2011.12.08 Thu l 幽霊と少年(完結) l コメント (0) トラックバック (0) l top

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