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 すれ違った大の大人が泣いているのだ。裕也がおののくのも無理はない。
 「いてぇ……ああいてぇ」
 眼帯を片手で押えた男の声は、背中からまだ聞こえていた。同じ目に、彼はこれから遭わされる。
 「さぁ、ここに上がって」
 爺さんの指示に、しかし裕也は従うしかない。他人行儀の真っ白なベッドは固く、黒い枕からは想いやりというものが微塵も感じられない。高鳴る胸を押さえ、彼は呼吸をしていた。心境は、絶望に近い。
 「はいちょっとごめんね」
 裕也は恐怖で押しつぶされそうなのに、爺さんの仕事も遅い。ようやく分厚い皺だらけの手を僕の患部を触診したかと思うと、また机に戻って行ってしまう。いつだ!?いつはじまるんだ!!
 「こわい?」
 看護婦はうすら笑いを浮かべながら彼に問う。ひきつった笑みを作って「そんなことないです」という裕也の声は小刻みに震え、待合室の母の鼓膜をも揺らした。
 「さぁまず目を洗うよ」
 爺さんが言った。始まる!
 そう思うが早いか、爺さんは掻きむしって睫毛がなくなった裕也の瞼をこじ開ける。その真上で傾けられる物体は水差し。降って来た透明の液体に驚き、彼は全身を硬直させる。
 「はい力まないでね」
 看護婦が脱脂綿で目じりを拭いながら言う。爺さんは傍らの電燈を引き寄せる。眩しい、熱い。
 「ちょっと痛いから我慢するんだぞう」
 わかってる。わかってるから腕を押さえるな。逆に暴れたくなる衝動が。くそ、これで力まずにいられようか。
 裕也は偉かった。悲鳴を上げなかったから。ただ爺さんが瞼をめくりあげた瞬間に彼は白目をひん剥き、刹那看護婦には鳥肌が走る。冷たい注射の針がデリケートな内肉に触れるや彼の顔は一気に皺が寄り、この世の負の感情の残滓を寄せ集めたような体を為したその表情はまさに呪怨。
 「はい終わり。よく頑張ったねぇ」
 爺さんは手慣れていた。浅い呼吸で立ち尽くす看護婦をよそに目っパを素早く摘出すると、裕也の目に薬とガーゼと眼帯を施すとのんびりした口調でそう言った。
 裕也は変わってしまった世界の中をゆっくりと歩き出す。まるで地獄の底から這い出してきたかのような余韻。あれ、でも待合室には母さんがいるんだ。何も変わらない。
 そこで裕也は思い出す。そうか、今きっと、僕の目は痛いんだと。茫然と歩くのもなんとなく決まりが悪く、彼はセリフを吐くことにした。
 「いてぇ……ああいてぇ」
 しかし案外痛くない。そう思って頬を釣り上げるや駆け巡る激痛に彼は叫んだ。


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※指の運動。特に捻りのないごり押し作品。
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2011.12.14 Wed l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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