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「やべぇ、おいやべぇよ川野」
平井は俺に向かって蒼白な顔で言った。
「どうしたん?何か見た?」
平井はその手に経本を持っている。細長くて、厚手なかんじでつづら折りの、般若心経とか色々書いてあるやつだ。俺はにわかに、そんなけったいなものを手にとった所為でアラヌものを見たのではないかと彼に期待した。
「この本でな、シミが」
「シミが」
「動いてる!」
「なんだと!」
まじか!
おそるおそる俺は平井の開いたページを覗く。すると何にもない。染みなんてない。そりゃそうだ、思えば染みがつくほど愛されてる経本じゃなかった。今日は久々に先祖代々の霊を祀った仏壇の掃除をするって意気込んで、末裔の俺一人じゃ骨が折れるからってんで平井を呼んだわけだけど、いくら割に合わない仕事だからってこいつは何たわごとを抜かしてやがるんだ?
と思ったら、なんか動いていた。よく見ると虫だ。すんげぇちっこい虫が動いている。
「シミだ」という平井。
「ムシだろ」
「いや、シミっていうだよ、これ」
は?
「『紙の魚』って書いて、シミって読むんだ。しらねぇの?」
「ちょっと言ってる意味がよく分かりません」
なんで魚なんだよ、どう見ても虫じゃん。まして虫じゃん。俺のシミどこいった。
紙魚は確かに動いていた。受けた生はきっと、この般若心経の中で完結してしまうのだろう。それを知った時、俺は絶望した。なんてこの世は儚いんだ。シミなんて大そうな名前をつけられたのは、人々の温情なのか、揶揄なのか。
「こいつってどうして生きてるの?」
生きる意味あるの?
「紙食って生きてるんだよ」
平井は言った。
「なに!?」
なんということだ。この紙魚はこの般若心経を取りこんで、まさに般若となろうとしているのか。
ちなみに般若とはあのクソ恐ろしい能面のことではない。俺はあれで昔失禁した。その後、世の不条理を悟った俺の方がどちらかといえば真の般若に近いと思う。くそっ、しかし俺よりも崇高な般若がここに……!
「でさ」
平井はさっきから喋ってはいるが全く体を動かしていない。
「退治してくれねぇ?」
「は?」
「俺、幽霊とか妖怪とかさ、どうでもいいけど虫が死ぬほど怖いんだよぬ」
衝撃の告白に俺は一瞬平井と同じ水準で硬直し、次の瞬間思い切ってくつろいでいる紙上の紙魚を掴むと平井の鼻孔に突っ込んだ。
ははっ良い声をあげやがる。
バサッと落ちた経本の開かれたページにある血の染みに、俺たちは気づかない。

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「なんだと!」
まじか!
のフレーズは短編(http://tanpen.jp/)に投稿されていた某作品からの借用表現です。
某、と言いましたが僕自身どのさくひんか思い出せていません。
短編の読者がいらっしゃいましたらどうか教えてください(切実)。
たしか最後に小熊が庭の隅で震えてる話だった気がする。
あと「紙魚」の題材自体はこるくさん「紙魚」(http://tanpen.jp/111/10.html)を参考にさせていただきました。勝手にすみません。
追記)るるるぶ☆どっぐちゃんさん「睡眠薬とジャスミンを入れ過ぎた、まるでくだらない冗談のようなアフタヌーンティーを飲みながら」(長っ)(http://tanpen.jp/35/19.html)でしたね!
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2012.03.05 Mon l 1000文字小説 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

No title
これですね
http://tanpen.jp/35/19.html
2012.03.05 Mon l ななし. URL l 編集
No title
これでした!ありがとうございます^□^
この作品好きだなぁと読み直して自覚しました笑。
2012.03.05 Mon l 霧野. URL l 編集

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