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 ぺたぺたとフローリングに姿を映した娘は、物言いたげに母親にたどり着く。
「私、お母さんから生まれたんじゃないんだよ」
 それは重大な告白だった。夕飯時まで難しげな顔をして黙りがちだった理由は、まさにこの瞬間のためにあったのだ。鼻の穴を膨らまし、おととい聞いた事実を塗り替える、さらなる新事実を抱えて転がり込んだ娘に、腹を痛めて娘を産んだはずの母親は「そうなの?」と目を丸くして見せる。頓狂な告白を笑って拭い去ることもできる。しかし母親はそうやって、無垢な娘の世界に生きることもできる人間だった。
「だって先生にね、『お母さんのどこから生まれたの?』てきいたの。そしたらね、『お腕の中に包まれて生まれてきたんだよ』っていってたの」
 母親は娘の演説に聞き入り、それから、
「それじゃあ、お母さんのお腕の中からは生まれてこなかったの?」
 娘は神妙にうなずき、それから私のほうを見た。
「だって、今日ね起きたら、お父さんのお腕の中にいたんだよ」
 どうやら私が生んだのだと言いたいらしい。てっきりキャベツ畑説が出てくるのだと思っていた私は妻と目があい、ちょっとのあいだ見詰め合った。そして私は吹き出したが、妻はいじけたような顔をする。
「でも、昨日はお母さんのお腕にいたでしょう?」
「……、あっ」
 妻の抗議に、娘はあっけなく盲点を突かれたような隙をみせた。長い儚げな髪を揺らし、不思議そうに首を曲げる。
「でも、おとといはお父さんから生まれたよ」
「あ、そっか」
 妻も負けずに虚を突かれた様子。最終的に、「最初に生まれたのは誰からか」という疑問が出るのだろうか。しかし最初に娘を抱いたのは助産婦だった。思わず私は微笑みをたたえた。幸福の中で皺くちゃになって泣く赤ん坊、果たして娘の想像力は、それが自分であると認識するに至るだろうか。
「じゃあ、明日はお母さんから生まれてほしいな」
 妻はそう言って娘を抱き上げた。パジャマから覗いたうなじで私とお揃いのネックレスが光る。たとえば娘に兄弟ができたら、娘は彼がどこから来たと思うのだろう。妻はやはり娘の世界を守ろうとするのだろうか。私は彼女たちを守っていけるのだろうか。
 明日は休みだった。もしちゃんと朝が来るのなら、明日はどこかへドライブでも行こうか。
「歯磨きをしたら、明日は気持ちよく生まれ変われると思うんだけど」
 ひそひそ話して笑い合っている二人に、私はそう言って立ち上がる。

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※外には静かな夜が広がっていて、決して明日の朝を保証してはいない、というイメージが伴う。なぜか。
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2012.10.25 Thu l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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