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故郷で地震が起きていた。僕はそれを寝起きのネットニュースで知った。幾重にも重なる山々の襞が、ことごとく地肌を剥き出しにしていた。生き埋めになった生き物は多いだろう。土砂流木に押しつぶされた家たち。被害者の数は確定していない。大停電。こんな日に限って天気は良い。

家族の安全を確認し、テレビをつけてギリギリまで情報を拾った。何のギリギリかといえば、出社時刻だ。こんな日にも日常はしたたかに続く。続けることを強いられている。

日常は、天変地異に限らずさまざまなキッカケでいともたやすく瓦解する。その瞬間は、一応僕も知っている。そしてその瞬間は、いつでも僕らの陰に控えている。日常という概念ほど不確かなものはない。よってしたたかな、という形容動詞も含め、日常などというものは実際のところ幻想に過ぎない。それでも1%の非常事態がない限り、僕らは99%の日常を強いられている。

とまで書いたが、この言い方には間違いがあるだろう。僕は建設的な生き方が苦手だ。日常を健全に維持する能力も低い。要は消極的で受動的なのだ。それを自覚し、言い改めなければならない。日常は強いられるものではない。幻想であっても、僕らは無自覚なりに自ら努めて、日常を築いている。築こうと努めている。

非常事態とどう向き合うかを考えることは大事だと思う。しかしそれと同じくらい、この日常の「不確かさ」に対してどう向き合うかを、僕らは考えなければならないと思う。これは僕の大きなテーマのひとつだ。
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2018.09.07 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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