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 七月、僕たちは先生に連れられ、ひび割れたアスファルトの道を海まで歩いた。小学校生活最後の遠足は、歩きながら校歌を繰り返し歌うのが伝統だったらしく、普段口数の少ない先生の歌声が絶え間なく前方から聞こえてきた。
 クラスメイト達は各々の雑談にふけりながらだらだらと歩いていた。先生の歌声は聞こえていたはずだ。しかし誰一人歌おうとはしなかった。伝統や、先生の言うことに従って、しかも大して格好良くもない歌を歌うという行為はダサい、というのが、たぶん僕らの共通認識だった。
 目的地は断崖の下に広がる砂浜だった。娯楽用の場所ではないため、ただの踏み跡みたいな小道を通って断崖を迂回し、ようやく砂浜に出た。弁当を食べてからは自由行動だった。拾った昆布を振り回す奴、波打ち際で押し相撲に興じる奴。僕はクラスメイトたちの遊ぶ姿を見ていたが、だんだんと彼らから離れたくなり、背を向けた。
 断崖に沿って歩いていくと、大きな岩塊が海に突き出し、砂浜は途切れていた。岩塊はごつごつしていて登れそうだった。這いあがってみると、岩の向こうは入り江のようにくぼんで再び小さな浜となっていた。僕は思い切って砂地に飛び降りた。辺りからフナムシが一斉に跳び上がった。波の音が心地よく、狭い空間をうろうろしながら自然と校歌が口からこぼれていた。
 不意に人影が岩の向こうから現れて僕はぞっとした。クラスの女の子だった。
「なにやってるのー?」
 と言いながら、彼女は僕と同じように岩から飛び降りた。僕は誤魔化した。
「秘密基地みたいだよね、ここ」
 女の子が周囲の散策を始めたので、僕は見つけた鳥の巣の痕跡などを教えてあげた。彼女は喜んでくれた。
 疲れた僕らは砂地に腰を下ろした。互いの膝が触れた。
「ねえ、何の歌、歌ってたの」
「え、聞こえてたの」
「うん」
 僕は躊躇してから、他に誰も聞いていないのだと思い、「校歌」と答えた。
「校歌ってさあ、なんでダサいんだろうな」
 波に「しらねえよ」と言われた気がした。
「じゃあ、わたしも歌う」
 冗談かと思ったが、女の子は僕の口元を見ていた。試しに最初のフレーズを口ずさむと彼女も同調した。狭い入り江の中に二人の歌声が充満した。向こうで海原が輝いている。気づけば僕も彼女も大声で歌っていた。
 歌い終わっても、互いに「ダサい」とは言わなかった。気分が高揚し、僕らは笑った。岩陰から、今度は先生の心配そうな顔が覗いた。
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 久しぶりにあの浜辺を訪ねると、崖崩れがあったとのことで、立ち入り禁止になっていた。とはいえもともと人の監視があるような場所ではないから、浜辺に降りるまでは簡単だ。実際、僕のほかにも何人分かの足跡が砂浜に続いていた。ただし、問題はその先だ。あの大きな岩塊の辺りは崩れ、大人になった自分のことも考えれば、もうその向こうには行けそうにもなかった。
 戻り掛けに、断崖の上から海を見渡してみた。その辺りは草原になっていて、ちょうどゼンテイカが一面に咲いていた。黄色いユリのような花だ。こういう景色を、あの頃の僕らは知らなかった。
 母校ではいまだに校歌を歌う伝統が続いているのだろうか。あの女の子は僕と歌った校歌を覚えているのだろうか。なんて考えながら、僕はそれを口ずさむ。ゼンテイカは僕を包み込んで揺れ、大海原は静かに波の音を立てている。
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2019.08.10 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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