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 幾千枚もの葉が擦れ合うような耳鳴りだった。バスに酷く酔っていた。車内の揺れに勢いづく吐き気を堪えているうちに、ここは森の中だ、と木こりが言ったのを思い出した。
 徹夜のバイト帰りで疲れていたが、日々は充実していた。金はあるし、単位取得に特化した受講計画も順調に進んでいる。協力者の学友らとは今晩麻雀大会を開く。こんな日々があと二年、だらだらと続くことを僕らは殆ど確信していた。
 朝の混雑に巻き込まれたか、信号に捕まったか、バスの揺れが止まった。窓の外は煤けたビルがたち並ぶ街の中だった。アスファルトの大きな割れ目を通行人の一群が踏み越えていった。くぐもった喧噪の中に、ヤマガラの気が触れたような地鳴きが混じっていた。
 こんな日々でも時々不安に襲われた。例えばこのバスが次の瞬間、僕や僕の前で揺れる黒い頭たちごと爆発しやしないだろうか、なんて根拠のない、現実味のない不安だった。
 バスが少し動いてまた停止した。渋滞なんだろう。ビルの隙間の暗がりに、ホオノキの幼木が生えているのがわかった。イタヤカエデも。ホオノキは陽樹だからじきに枯れるだろう。けれど何せ春は無秩序だ。有利も不利もなく、どんな生き物も猛って生い茂る。生きて、死んで、森はできていく。知っているか。君たちの街も森になるんだ。木こりはそう言っていた。彼と出会った頃、僕は友人と廃村巡りにハマっていた。
 昔はここも街だった。それと同じくらい確かに、今ここは森の中だ、と木こりは言った。
 バスがまた揺れだした。イタヤカエデが太ってビルを傾がせた。街路のアズキナシが白い花を咲かせている。その根も舗装を砕いてイラクサが、ヨブスマソウが、チシマザサが、アキタブキが地表を覆う。ミミズが息を吹き返し、アカネズミが跳ねる。それをキツネが探し回る。オヒョウが、ミズナラが猛って伸びて太る。枝葉が視界を覆い空を隠す。バスはもう真っ直ぐに走れない。
 たまらず次の停留所でバスを降りた。全身の揺れが止まらず一気に吐いた。豊かに腐敗する暖気。葉の擦れ合うような耳鳴りがした。トドマツの黒い針葉が目に刺さる。眼前暗黒感。オニシモツケの湿布のような匂い。
 遠くから救急車の音がやってくる。いつかの小さな谷底にボロボロの車が転がっていた。すでに森の一部だった。僕を迎えに来たのはあの車だろうか。
 うまく立ち上がれなかった。辺りは眩しいのに薄暗かった。僕は森の中にいた。

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小説投稿サイト「短編」のコンペ参加作品を多少修正。
文章のバランスが偏っていたので構成を入れ替えました。
主人公は倒錯した風景に溺れ、それをじっくり味わう余裕も持っていません。
カタカナが氾濫し描写が少ないのは、その混乱と勢いの顕れかな、と思っています。
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2019.08.10 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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