少女みたいに祖母が僕たちの距離感を揶揄うものだから、気を遣ったのか明希は僕の右手を掴んだ。それを持ち上げ僕に見せつけながら、
「恋人繋ぎしちゃった〜」と彼女はヤケクソ気味に笑った。温かな細い指がぐいぐい食い込んだせいで、手にはまだその感覚が残っている。
そろそろ祖母と母が買い物なら帰ってくる時間で、僕は明希を起こしに祖父の書斎へと向かった。木製のドアを軋ませながら開くと、左手の窓際に置かれたソファの上で明希が頭をこちらに向け、静かな寝息を立てていた。
何気なしには入ることのできない部屋だった。祖父の他界以降も祖母は毎週掃除機をかけているが、部屋の中は何となく時間が止まったような匂いが染み付いている。祖父がいた頃の匂いだ。
丸い頭のつむじに近づく。まもなく、いつもとは明確に異なる匂いの存在に気づいた。気づいたというか、僕は少しだけそれを期待していた。明希の使っているトリートメントとか、柔軟剤とか、頭皮とか、そんな類だ。できれば部屋の雰囲気ごと塗り替えて欲しかったのだが、祖父の名残は強力だった。僕は部屋の奥にある祖父の机椅子に座った。揃えた両足をこぢんまりと畳んで横を向く明希は、窓の逆光に翳っていた。
僕の脳みそは明希の香りを「懐かしいもの」と「新しいもの」のどちらに分類すべきか迷っていた。近所で育った明希は実の孫よりも祖父に懐いていた。引越しの時は祖父に抱きついて泣き、戻ってきた時は仏壇の前で泣いた。
僕が嘘をついたか何かで祖父に酷く叱られた時も明希は祖父のそばにいた。明希と一緒に遊んでいたところ、険悪な雰囲気になるや明希は祖父の側についたのだ。あの明希の目は何を思って僕を見ていたのだろう。
今、明希の目はどこを見るでもなしに薄く開いている。瞼がゆるいのか、昔からそうだった。時折白目になりながら無防備に眠る明希の寝顔を、僕は何度もこっそり眺めたものだ。起きたら指摘してやろう。手に残る生々しい感覚とは裏腹に、断絶された過去を覗くような気分が襲ってくる。
ふと明希の袖を登るてんとう虫が目に入った。七つの星を背中に乗せて、短い足を忙しなく動かしていた。小刻みに休憩を挟み、幾つもの袖の襞を越え、明希の小さな肩のいただきに辿り着いたてんとう虫は、一呼吸おいてから翅を展開し、重たそうにどこかへ飛んでいった。
「明希」と僕は声をかけた。明希は微かに身じろぎをして、すうっと息を吐いた。
「恋人繋ぎしちゃった〜」と彼女はヤケクソ気味に笑った。温かな細い指がぐいぐい食い込んだせいで、手にはまだその感覚が残っている。
そろそろ祖母と母が買い物なら帰ってくる時間で、僕は明希を起こしに祖父の書斎へと向かった。木製のドアを軋ませながら開くと、左手の窓際に置かれたソファの上で明希が頭をこちらに向け、静かな寝息を立てていた。
何気なしには入ることのできない部屋だった。祖父の他界以降も祖母は毎週掃除機をかけているが、部屋の中は何となく時間が止まったような匂いが染み付いている。祖父がいた頃の匂いだ。
丸い頭のつむじに近づく。まもなく、いつもとは明確に異なる匂いの存在に気づいた。気づいたというか、僕は少しだけそれを期待していた。明希の使っているトリートメントとか、柔軟剤とか、頭皮とか、そんな類だ。できれば部屋の雰囲気ごと塗り替えて欲しかったのだが、祖父の名残は強力だった。僕は部屋の奥にある祖父の机椅子に座った。揃えた両足をこぢんまりと畳んで横を向く明希は、窓の逆光に翳っていた。
僕の脳みそは明希の香りを「懐かしいもの」と「新しいもの」のどちらに分類すべきか迷っていた。近所で育った明希は実の孫よりも祖父に懐いていた。引越しの時は祖父に抱きついて泣き、戻ってきた時は仏壇の前で泣いた。
僕が嘘をついたか何かで祖父に酷く叱られた時も明希は祖父のそばにいた。明希と一緒に遊んでいたところ、険悪な雰囲気になるや明希は祖父の側についたのだ。あの明希の目は何を思って僕を見ていたのだろう。
今、明希の目はどこを見るでもなしに薄く開いている。瞼がゆるいのか、昔からそうだった。時折白目になりながら無防備に眠る明希の寝顔を、僕は何度もこっそり眺めたものだ。起きたら指摘してやろう。手に残る生々しい感覚とは裏腹に、断絶された過去を覗くような気分が襲ってくる。
ふと明希の袖を登るてんとう虫が目に入った。七つの星を背中に乗せて、短い足を忙しなく動かしていた。小刻みに休憩を挟み、幾つもの袖の襞を越え、明希の小さな肩のいただきに辿り着いたてんとう虫は、一呼吸おいてから翅を展開し、重たそうにどこかへ飛んでいった。
「明希」と僕は声をかけた。明希は微かに身じろぎをして、すうっと息を吐いた。
しばらくして目覚めた明希と目が合い、気まずかった。時限装置が作動するように、ほとんど自動的に口が動いた。
「明希ってさ」
「ん、なに?」
「寝るとき白目剥くよな」
失礼だとは思った。明希の顔がパッと赤くなる。たぶん僕も。
「うわー、バレたあ!」
明希は誤魔化すように大袈裟に笑う。見ているこっちも恥ずかしくなって、「昔から知ってるわ」とは言えなかった。
「明希ってさ」
「ん、なに?」
「寝るとき白目剥くよな」
失礼だとは思った。明希の顔がパッと赤くなる。たぶん僕も。
「うわー、バレたあ!」
明希は誤魔化すように大袈裟に笑う。見ているこっちも恥ずかしくなって、「昔から知ってるわ」とは言えなかった。
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