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 泣いている夢を見た気がする。朝日に包まれた窓際のベッドで目が覚めた私は、ゆっくりと上体を起こすと、先ほどまでの情景に思いを馳せた。だが、こういう時だけ情報処理の素早い私の脳みそは、既にその大半を記憶から抹消しつつあるようだった。

 確かに泣いていたのだ。子供のように顔を歪めて、涙を流しながら何かを訴えていた。周りには、驚いた顔で言葉を失う知人。ただその知人が誰だったかも、私はもう思い出せない。

 15年間とすれば数えきれないが、私はここ10年のうちに、現実において泣いたことは3回しかなかった。最近の5年にいたっては皆無だ。感動する映画や本を見て、ああ、良い話だなぁと客観的に思ったこともあるが、主観的に泣くほどの感傷を得たことはない。ひどい目に遭ってボロボロになっても、たいていの不条理については経験済みだったためか、悔しさに涙することはなかった。

 親に死なれ、親友には苛められ、親戚の間では邪魔者扱いされ、先生には裏切られた。子供時代に過ごす世界の広さは高が知れているから、規模的な未知領域こそは多いだろうが、小学から高校にかけて私が見てきた不条理の数々は、おそらく、世の中に存在するそれらの原理をほとんど説明してしまうだろう。学校は社会勉強の場だと誰かが言っていた。私にとっては、皮肉にも正にその通りだった。

 そして、私は不条理への適応が速かった。適当な自己解釈とスルースキルを身につけ、物事には執着しなくなり、いつしか、泣くことを忘れていた。その日が長くなるごとに、泣きたいという衝動に駆られる機会は増えた。しかし、その願望が叶ったことは、未だにない。

 「そんなのおかしい」と、私のために彼女は泣いてくれた。私と違って、彼女はよく泣いた。そのたびに、私は共に泣いてやれないことを悔やんだが、そんな彼女だったからこそ、一緒に居ると安心できた。私は彼女から頼られることができ、また彼女の母性に甘えることができ、これを幸せと言うのだと感じた。いつか、彼女の胸でなら、泣けるかもしれないと思った。

 しかし、その主観も、私の涙腺を管理する中枢は客観的に捉えているようだった。二人の信頼によって形成される安寧の儚さを、私は脳の隅で静観していた。ある日、彼女はとめどない涙を流しながら、私から遠ざかって行った。喉が枯れるまで謝り続け、そして、別の男のもとへ去った。私はその不条理をまだ知らなかったが、やはり、泣けなかった。


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※連載有力候補生
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2011.11.12 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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