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 五人の飲み仲間がいる。スマホを割ったペニー、美人局に集られたインゲン、免許取消のアクマ、保釈中のブタ、そして末期癌のオタケ。知り合った経緯は酒に潰れて誰も覚えていない。
 車は郊外を行く。BGMはandymori。いつものように、知性の低い雑談に花を咲かせながら。
 トンネルを抜けると紅葉の最盛期。車内を移ろうステンドグラスのような光が、インゲンには走馬灯にも見えて、
「おいペニー、写メ撮ってくれよ」
「だからぁ携帯ねえっての」
 ペニーに背もたれを蹴られてやっと景色を嚥下し、インゲンはエンジンの回転数を上げた。
「写メって死語?」
「死語だろ」
 運転を免れたブタとアクマは呑気なことを言う。
「ブタはこんなことしてる場合か?」
 ペニーは心配している。
「なぁに、弁護士がついてる」
 痴漢冤罪のブタは胸を張る。「人生は待ってくれないんだ」
「そうだよ、そうだ」
 誰もが同意した。
 (これからやってくる冬のことを口にする者はいない。しかしそれは恐れているのではない。)
 無人温泉があるらしく林道に立ち寄る。道の先には掘り込みの湯船に溢れるぬるま湯。外気温と相まって、勇み入った彼らは猿みたいな格好で冗談みたいにぶるぶる震える。戻れば落ち葉が車を彩っていた。車内は暖房をつけても全然温まらない。
「このポンコツ名前負けなんだよ」
「俺たちが勝手に呼んだだけだろ」
 ペニーのぼやきに突っ込むアクマ。名付け親はオタケだった。
「オタケのやつ、言い出したことは絶対曲げないから」
 車は目的地に近づく。造形の良い山だった。山岳会に入っていたオタケが、お気に入りだといつも話していた山。
「あいつ、山では絶対に死なないって豪語してたもんな」
 何気ないようにブタが言う。急に現実が襲ってきて、アクマは人知れず胃を痛めた。呆れるほど速度超過して警察に捕まり、「その時」に間に合わなかったことを今も後悔している。
 それでも、もう嘆いてはいられない。俺たちは精一杯生きているのだから。
 車内灯の隙間に引っ掛けられた写真の中でオタケが大笑いしている。
 一緒に誓ったのだ。死ぬまで今を生きよう。それが俺たちの栄光だ。
 着いたのは昼下がりだった。
「登山口までなのはしょっぱいな」とペニー。
「お前らは登るなって散々言われたろ」とブタ。
「オタケなら、死んでも俺たちを止める」とアクマ。
「さぁ行こうか」
 ドアを開けてインゲンが言う。「オタケを忘れるなよ」
2023.01.24 Tue l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 妻の寝息だけが聞こえた。隣からだ。半身を起こし目覚めた理由を考えたが、漠然とした不安が身体を蝕んでいくようで堪らず、喉が渇いた、ということにした。
 初めて盗みを働く空き巣のような慎重さでベッドを抜け出した。私の意思ではないが、目が覚めたことを後悔していた。仕事に摩耗した心身を癒すものはほとんど睡眠だけだった。惚れ込んだ妻の寝顔を見れば疲れも吹き飛ぶ、というのも、長期にわたれば流石に気休めでしかない。何時間眠れたのだろう。あと何時間眠れるのだろう。
 忍び足で居間に向かった。廊下は仄かに明るく、胃のあたりがズシリと重くなる。寝起きの逆説的な浮遊感だけが私を守っていた。本当にふわふわと浮き上がり、そのままどこかへ飛び去ってしまえれば良いのに。
 ドアを開けると海だった。海原のように秋草が一面を覆っていた。揮発性の枯葉の匂いが鼻を通り抜けていく。私は揺れるススキのような穂の間に分け入る。そこら中から虫の鳴き声が立ち昇っていた。繊細な無数の声が周囲に満ち満ちている。命を繋ぐ切実な合唱の波が私を呑み込んでいる。
 幻覚から我に返るのは一瞬だった。立っていたのは確かに見慣れたリビングだった。しかし虫の音はなおも世界を支配していた。私はベランダに続くガラス戸が開いていることに気がついた。
 サンダルを履きベランダに出て、さんざめく虫の音を浴びた。夜明け前だ。眼下の通勤路を新聞配達のカブが走っていく。その向こうに空き地があり、そのまま堤防、河原へと続いていく。雑草が生い茂る地帯。おそらく声の主たちはあのあたりにいる。
 空気が澄んでいるせいもあるのだろうが、音の大きさに驚いた。少なくとも、故郷でこんなに鳴いていた記憶はない。よく聞けば、鳴き声は一種類ではなかった。口笛のような音もあれば、切れかけの蛍光灯や理科で使う豆電球の光に喩えた方が相応しい、儚げな音もあった。昔習った童謡を思い出し、私は口ずさんだ。
 こうやって何もせずぼんやりと外を眺めたのは、ずいぶん久しぶりのことだ。
 誰もいないのに、ほどなく自分の歌声が恥ずかしくなった。空白地帯のような時間に、頭には妻の顔が浮かんだ。
 戸を閉めて寝室に戻った。変わらず寝息を立てている妻の顔を覗く。何も知らない無防備な寝顔に、頬が勝手に緩んだ。まだ幾ばくかは寝られるだろう。私も布団に入って目を閉じる。残響か、妻の寝息に混じり、微かに虫の音が聞こえた。

2022.12.14 Wed l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
#134『高嶺ヶ原』のモデルにした場所は大雪高原温泉というところです。高根ヶ原と呼ばれる領域の一端に位置しています。
森林限界に近く、7月まで根雪があり、11月には再び根雪になるという夏の短さ。その厳しさのなか繰り広げられる命の営みはとても美しいです。
一帯はヒグマの生息地であり、散策路は普通に登山道なので、訪れる際はそれなりの覚悟をしていきましょう。
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2022.12.03 Sat l 短編(サイト)関連 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 海を見ていた。
「君、ここの人?」
 道から外れよたよたと歩いてきたその女性は、小柄な身体に不釣り合いな大きさのザックを背負っていた。第一村人に思い切って話しかけてみた、という感じの顔をしていた。
「じいちゃん家なんです」
 僕は後ろの家屋を指差した。夏休み中、受験勉強のために滞在していたのだ。行き詰まると浜の近くまで出て、遠くを眺めるのが習慣になっていた。
「ここ、ちょっと置いてもいいかな」
 その人はオーバーサイズのTシャツを揺らして重そうなザックを下ろした。
「乗り継ぎ待ちですか」
 近所の駅は列車の接続が悪いらしく、旅客がよくカメラなんかを手に徘徊していた。
「そうだよ」
 一人旅の途中だという。聞けば学生で、大学のレベルは僕の目標より上だった。その人も僕の隣に立って手を後ろに組み、水平線を眺めた。
「海、綺麗だね」
 僕は同意した。斜め下にある胸元が目に入りそうで緊張した。これは逆ナンか? なんて思ったところで、
「あっ見て見て、ヒトデがいる」
 と彼女は走り出し、浜に降りていった。慌てて追うと本当にヒトデがいた。それまでは空と海と浜しかないと思っていたのに、波打ち際には赤や青や黄色の原色的なヒトデが驚くほどいた。
 面白くなり、彼女と僕は浜辺を探索した。巻き貝を被ったヤドカリ、色ガラスの空瓶、誰かに置き忘れられた白いテディベア。発見した物全てが真新しくて、次の瞬間には無性に懐かしかった。
「オバケたんぽぽ!」
 岩陰を見て彼女が言う。黄色い花が太い茎にいくつも咲いていた。こんな所に花なんてあると思わなかったから、確かに一見すると異様だった。しかし花の雰囲気はたんぽぽと少し違う。どちらかといえばーー
「ひまわりみたいじゃないですか」
 淡黄の小さな日輪たちが顔を寄せて静かに笑っている。彼女は「えーそうかな」と何故か照れ臭そうに言いながら観察していたが、おもむろに花のひとつをもぎ取ると、頭に添えてこちらを向いた。

 今年も花が咲いた。
 彼女のいた大学に入り、教わったサークルを訪ねたが、二年になるはずの彼女は既に退学していた。同期だった先輩でも連絡がつかないらしく、得た情報は地元の場所だけだった。
 夏が来るのが待ち遠しかった。あなたの痕跡に、いちいちあの花を想った。僕の大学生活は花だらけだ。もし会えたなら文句を言ってやろう。
 今日が出発日、ここが出発点だ。列車の時間を待ちながら、僕は海を見ていた。
2022.12.03 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 こんな朝から汗が噴き出して口の中は塩辛い。俺たちは夏を蹴り起こす。杉の枯葉が積もった地面から、発声練習もできていない蝉たちが慌てて飛び出していく。出合え出合え。
 水のない谷をひたすら歩く。ポケットから地形図を取り出して読図、ついでにGPSの座標を確認して立ち止まる。振り返ると、俺が蹴り散らした埃の中を木漏れ日が幾筋も降りている。光に照らされたシゲさんと目が合って、ずんぐりした汗まみれのシゲさんはノソノソ歩きながら罰が悪そうに笑う。しなった杉の枯枝に躓いて、もう三回転んでいるから薄汚い。
 俺は紅白のポールを十字に組んで風景の一部になる。渓流荒廃状況写真だっけ? 知らん、あとは好きに切り取ってくれい。
 カメラを取り出すのにてこずるシゲさんも風景には溶け込んでいた。

 今日が夏のピークらしい。俺たちは蜘蛛の巣デストロイヤー。夜のうちに綺麗に整えられた巣を容赦なく破壊していく。退避する女郎蜘蛛を見送って進む藪だらけの川は暑いんだか涼しいんだか分からない。後ろで熊みたいに盛大な水の音、呆れるくらいに。
 昨日の電話は漏れていた。多分親御さんから、仕送りの催促だったんだろう。
 シゲさんはどうにか一人で立ち上がる。浅い川水は俺からシゲさんの方へただ流れていく。
「大丈夫ですか」
「え?」虚をつかれたシゲさんはプーさんの顔。やっぱり熊だ。
 こんなんでも、会社にいる時よりシゲさんはずっといい顔をしている。新人にこき使われようが山が好きなんだ、きっと。チーフのデスク前に立たされて一日中詰められている姿が朧げに浮かぶ。まるで夢みたいだ。夢なんだろう。

 山を抜けたら風が乾いて少し冷たい。何となく外で電話連絡。チェーン脱着場にゴロゴロ転がる毬栗を足で転がして。
「チーフ、シゲさんのこと褒めてましたよ」
 運転席でぼんやり外を眺めていたシゲさんは外を見たまま目を細めて「うん、そっかぁ」とだけ言った。
 シゲさんは会社に戻ったら仕事をやめる。実質クビらしい。なのに泥だらけの作業着はシゲさんの平和な呼吸に合わせて穏やかに膨らむ。
「帰りの運転、かわりましょうか」
 シゲさんははにかみながら首を振り、車は緩やかに走り出す。ため息を呑んで見やったずんぐりの肩に丸々太ったヒル発見。黙って取っても右折するシゲさんは気づかない。
 万感の思いを込めて窓を開け、ヒルを指でこねくり回してから外に放り投げた。俺たちは夏を後にする。
2022.11.12 Sat l 1000文字小説 l コメント (0) トラックバック (0) l top